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全国制覇7度の名門・広島商高校硬式野球部の歴史

2019 8/9 20:30SPAIA編集部
イメージ画像ⒸGlen Jones/Shutterstock.com
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Photo by Glen Jones/Shutterstock.com

100年以上の歴史を誇る伝統校

1899年に創立され、120年の歴史がある広島商高校野球部。部活動も盛んで、硬式野球部以外にバスケットボール部も全国制覇経験がある。

甲子園にも数多く出場している硬式野球部は、野球ファンの間で「広商」とも呼ばれている。地元では市立広島商業と区別するため、「広商」ではなく「県商」と呼ばれることもある。

甲子園の出場回数は県内2位の44回

広島商が甲子園に初めて出場したのは、1916年夏の選手権大会。その後1918年まで3大会連続で出場するなど中国地方の強豪校として君臨し、1924年の第10回大会で初優勝を果たした。

2019年夏の甲子園を合わせて、春21回、夏23回の合計44回の出場を果たしており、47回出場の広陵高校と広島県内の出場回数トップを争っている。

怪物江川卓を撃破した1973年春

広島商は、甲子園で春1回、夏6回と合計7回の優勝を誇る強豪校ということもあり、甲子園では数々の名勝負を繰り広げてきた。中でも印象に残るのは、1973年春の選抜準決勝の作新学院(栃木)戦ではないだろうか。このときの作新学院の先発は、“怪物”と呼ばれた江川卓だった。

この大会の初戦の北陽戦で19三振を奪う鮮烈な甲子園デビューを飾ると、2回戦の小倉南戦で10奪三振、準々決勝の今治西戦では20奪三振と3試合で49三振を奪い、3戦連続完封。準決勝の広島商戦でもどれだけ三振を奪うのか注目されていた。

しかし、江川に球数を投げさせることとテンポを狂わせることに重点を置いていた広島商は、ヒットはわずか2本だったが、2-1で作新学院を倒すことに成功した。

広島商から巣立ち監督に

広島商の卒業生は、県内の強豪野球部で監督を務めることが多い。

2015年、2016年と2年連続で夏の選手権大会に出場した広島新庄・迫田守昭監督も、長らく如水館で監督を務め実兄の迫田穆成監督も広島商出身だ。また、1934年夏の甲子園で全国制覇した呉港の佐々木幸治監督も広島商出身だ。

広島商の野球部から監督として県内の強豪校へ巣立っていく例は、今後も増えるかもしれない。

広島商からプロ入りした選手は多く、ドラフト制以後から2019年までで15人いる。近年では、2015年にトリプルスリーを達成した柳田悠岐が、広島経済大学を経てソフトバンクに指名されている。また古くは広島東洋カープの監督を務めた達川光男、三村敏之らも同校出身だ。

ドラフト制以前まで遡ると、広島カープ初代監督の石本秀一、南海ホークスの名監督であった鶴岡一人も輩出しており、高校野球と同様プロ野球界へも多くの監督を送り込んでいる。

15年ぶりの甲子園に期待

かつて広島県の高校野球を引っ張ってきた広島商。多くのプロ野球選手も輩出した名門校が2019年夏、15年ぶりに甲子園に帰ってきた。伝統の機動力に強打を加え、地方大会では6試合で49得点を挙げた攻撃力が武器だ。7度目の夏の甲子園制覇へ、初戦は同じく中国勢の岡山学芸館と対戦する。

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