「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

プロレスラー石井智宏選手を解説します

2017 1/18 10:02
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by " Photoraidz"/Shutterstock.com

リングではヒール役で、100kgの巨体で威圧感を与えながら、無骨な戦いを見せる選手ですが、現在に至るまでには長い道のりがありました。また、見た目とは違った人柄も魅力の一つです。 そんな石井選手を詳しく紹介いたします。

石井智宏選手の生い立ち

石井智宏選手は、1975年生まれで神奈川県出身です。学生時代は野球少年でしたが、1996年にWARに入門。その年にプロレスデビューしました。そこからしばらく武骨な戦いを前座戦で楽しませてくれました。また、天龍源一郎選手の付き人をしていた時期もありました。
1999年にはフリーに転身し、その後ヒールユニットのFECを経て、2002年に長州力選手に弟子入りを果たし、WJプロレスに所属することに。2003年にはWJ YOUNG MAGMA杯トーナメントで優勝を飾り、翌年にはZERO-ONEにて高岩竜一選手とタッグを組み、NWA認定ライトタッグ王者にもなりました。

天龍選手の付き人と長州選手の弟子入り時代

天龍選手の付き人をしていた石井選手は、「一番使えない付き人」と天龍選手が言うほど、何も知らず毎日怒られていたそうですが、努力家の石井選手はそこで付き人のイロハを覚えたそうです。その間、練習には参加させてもらい、努力は惜しまなかったそう。
その後、フリーになり、長州力選手が運転手&練習パートナーを探していたところ、縁あって石井選手が付くことに。長州力選手の付き人は完璧にこなし、人柄も気に入られていたようです。その間、長州力選手に直訴して晴れて弟子になり、最後まで長州力選手についていくと言っていたそうです。 天龍選手と長州力選手の教えが今の石井選手に繋がっています。

石井智宏選手の新日本プロレス時代

長い間インディ―マットで戦っていた石井選手でしたが、2006年から新日本プロレスのユニットG・B・Hに所属。2008年にはWEWヘビー級選手権試合で王座を勝ち獲りました。 2009年には新日本プロレスのユニットCHAOSの一員となり、絶賛されるようないい試合もありましたが、新日本プロレスになってから初のタイトルまでには7年8ヶ月という月日を要し、2014年にNEVER無差別級王座を獲得しました。 そこからは、タイトルを奪取されたり返り咲いたりを繰り返すほどの強さでファンを楽しませてくれています。

石井智宏選手の得意技やスタイル

デビュー時から現在まで使っている、相手を担ぎ上げて垂直に頭からマットへ落とす「垂直落下式ブレーンバスター」、相手を抱え上げて垂直の状態から長く静止することで受け身を取りにくくさせる「雪崩式ブレーンバスタ―」、師匠である天龍選手や長州選手を思わせるラリアットやパワースラムなどを得意技として、ヒール役に徹して熱い戦いをみせてくれます。
きっちりとした練習や試合スタイルは、プロレスの中継をしていた解説者からも「昭和プロレスの原型」と表現されたこともあります。

石井智宏選手の意外な一面

戦い方がきっちりしているため昭和スタイルと言われ、ヒール役をこなし、風貌からも怖そうな石井選手ですが、リングをおりると試合後から朝まで飲んでしまうほどのお酒好き。朝まで飲んだ時は食事なしで昼過ぎまで寝て、また試合に行くという不規則な生活を送ることも。レスラー仲間とも酒宴で楽しんでいる気さくな方なようです。
その一方で、普段の食事は自炊が多く、ブログで度々手作り料理を披露しています。その食事内容もファンには好評で、量が少なければ栄養士が認めるほど良い栄養バランスだそう。このギャップもたまりません。

まとめ

入門してから決して楽ではなかった長い下積み生活。 それでも努力を惜しまないスタイルと人柄は今の石井選手に繋がり、プロレスラーからプロレスファンまでみんなに認められるようなプロレスラーとなりました。 今後の石井選手にも期待です!