1秒に泣いた男
駅伝シーズンになると、彼のことを考えずにはいられない。
東海大2年の鬼塚翔太である。
2015年の全国高校駅伝でスター選手が集まる1区の上位6人中5人が入学し、「黄金世代」を形成する東海大。その中ででも、筆者が鬼塚に注目するのには理由がある。
鬼塚の存在を初めて知ったのは、2013年の全国高校駅伝である。
当時、鬼塚は1年生。古豪、福岡・大牟田高の赤いユニフォームに身を包み、髪形は丸刈りだった(今の鬼塚は茶髪でかなり長めである)。
2013年の全国高校駅伝は史上まれにみる激戦だった。山梨学院大付高、三重の伊賀白鳳高、広島の世羅高、そして、大牟田高が一団となってゴールのある競技場に帰ってきた。その中に鬼塚の姿があった。彼は1年生ながら、アンカーという大役を任されていた。
残り200メートルまではどこが優勝するか分からなかった展開。そこから抜け出したのが、山梨学院大付高と大牟田高だった。当時からスピードに定評があった鬼塚だが、残り100メートルで振り切られ、1秒差の2位に終わった。42・195キロをたすきでつないできて、最後の差は1秒。距離にして1メートルもないぐらいである。
鬼塚が泣いていたかどうかは分からない。しかし、YouTubeにアップされている動画を見ると、茫然としているのが分かる。
それもそのはず。大牟田高は過去5度の優勝を誇りながら、21世紀に入って低迷が続いていた。そこに舞い込んだ久々の優勝のチャンス。どれだけの期待が彼にかかっていたかは分かっていたはずだ。そして、その中で勝負には出て、十二分に役目を果たす走りだった。ただ、あと1秒が足りなかった。
1年生にして1秒差に泣く――。重すぎるほどの責任を感じただろう。高校生の間は「十字架」を背負い続けてきたに違いない。そう考えると、鬼塚翔太というランナーのことが、必然的に気になるようになった。
いつか、鬼塚が優勝のゴールテープを切り、背負ってきた十字架を下ろす日がくると期待していたが、現実はドラマのようにはいかなかった。
2年生の時、大牟田高は26位、3年生の時は10位だった。3年生では花の1区を走り、区間4位。3年生の時に鬼塚はこう語っている。
「1秒の意味を問いながら走ってきた」
だが、高校時代にその1秒を取り返すことはできなかった。