まさかの失格
男子100メートルの決勝を見つめる観衆の視線は、ボルトに向けられていた。
だが、ボルトはフィニッシュラインを超えることができなかった。号砲が鳴る前にスタートを切ってしまい、失格となった。
2年前までの世界選手権ではルールが違った。誰かがフライングをした後は、誰がしても失格になるというものだった。だが、その後にルール変更。誰でも1回目のフライングから失格になることになった。そのルールが最初に適用された世界大会が大邱の世界選手権。その餌食になったのは、最大のスター、ボルトだった。
ボルトはフライングをすると、ユニフォームで顔を覆い、スタート地点を後にした。筆者はすぐに取材ゾーンに走ったが、ボルトは現れなかった。
このレースで勝ったのは、同じ陸上クラブで練習するヨハン・ブレーク(ジャマイカ)。「まさか、ウサインがフライングをするとは思わなかった」と語った。
男子200メートルでは、ボルトは19秒40という自己3番目のタイムで優勝し、100メートルの雪辱を果たした。
だが、フライングのルール改正もあり、以前のような記録はもう出ないだろう、と言われ始めた。もっと速い世界記録を出してほしい、という思いとともに、ボルトが負ける日が来るのではないかともささやかれ始めた。
ボルトは25歳になっていた。
ボルトが敗れた2012年
五輪イヤーだった2012年、ボルトは口癖のように言っていた。
「俺は伝説になりたい」
これは100メートルと200メートルの五輪2大会連続2冠をロンドン五輪で達成するということである。生きたまま伝説になること、つまり「生ける伝説」になることを目標に掲げていた。
伝説になりたいという夢は、記者会見で語るだけではなかった。親友で、レゲエミュージシャンのD Majorはこう語っていた。
「ボルトはよく伝説になりたいと言っている。それはロンドン五輪の100メートルと200メートルで優勝することだと」
しかし、落とし穴はその直前にやってきた。
ロンドン五輪の1カ月前に行われたジャマイカ選手権。日本の競技場に比べて観客席はそこまで大きくないものの、メインスタンドは満員だった。陸上がメジャースポーツであるジャマイカらしい、熱気に包まれていた。
ここに詰めかけたファン、メディアはそうはお目にかかれない場面に2度も遭遇する。
まず、100メートルでボルトがブレークに敗れて2位に終わった。タイムは9秒86。優勝のブレークは世界歴代4位の9秒75。確かにハイレベルではあったが、ボルトがフライングによる失格以外で、100メートルで負けるのは約2年ぶりだった。
「仕方がない。こういう時もある」
レース後、ボルトはTシャツで顔を半分覆いながら、表彰式に向かった。
そして、ボルトは200メートルでもブレークに敗れた。この種目で敗れるのは約5年ぶりというから、驚きである。それも残り60メートルで抜かれてしまった。
「時々負けるのはいいこと。頑張ろうと思える」
そうは言いながらも、レース後は右太ももを押さえて苦悶の表情。この大会の後に出場を予定したレースはキャンセルする羽目になった。
2012年は、ボルトが26歳になる年。さすがに人類最速の男も、2大会連続2冠は無理かと思わせる空気が漂っていた。
(続く)