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その姿はまさにエース!女子バレー日本代表の名アタッカーたち

2016 9/8 23:08
木村沙織ⒸCelso Pupo/Shutterstock.com
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ⒸCelso Pupo/Shutterstock.com

絶対的エース!木村沙織

まず紹介するのは、木村沙織。もはや単なるスパイカーの枠にとどまらず、世界に誇る日本のエースともいえる。185cmの長身を生かしたパワフルなスパイクはもちろん、難しいコースも難なく、ライトポジションからも強烈なスパイクを打ちこめる器用さを持ち合わせた選手(ライトは左利きの方が有利)。レシーブ力にも定評があり、守備でも堅実なプレーが光る。

学生時代から注目の存在で、初めて日本代表に招集されたのは成徳学園高校2年の時だった。8月に強化合宿に招集され、そのまま翌月のアジア選手権に出場。ブレイクしたのは翌2004年アテネオリンピック。予選メンバーとして選出されると、初戦のイタリア戦で14得点を挙げる大活躍!パワフルなスパイクにポイント間で魅せるあどけない笑顔が話題となり、「スーパー女子高生」と一躍人気に。

2005年、東レに入社した後もほとんどの国際試合で代表入りし、オリンピックでは女性選手として初の4大会連続出場(アテネ・北京・ロンドン・リオ)も果たした。

サボりのシンは世界のシンへ 高橋みゆき

続いて紹介するのは高橋みゆき。竹下佳江との「テン・シンコンビ」はファンの間ではお馴染み。2000年に初めて全日本代表に選出され、2001年のグラチャンバレーでは主軸として銅メダル獲得に貢献。さらに2002年の世界選手権ではキャプテンに就任し、名実ともに全日本の中心選手に。

しかしバレー協会からは不評で、監督に「高橋を代表に選ぶな」と伝えられていたほどだった。それは、確かな実力を持ちながらも練習で手を抜くため「手抜きのシン」と呼ばれ、キャプテンを務めた世界選手権では過去最低の順位に終わってしまったことが要因と思われる。しかし、当時監督だった柳本昌一は高橋を代表に選出。他のメンバーとの相性を考えた時、その明るい性格が必ず生きると考えたからだ。

当時はベテランの吉原智子、セッターの竹下佳江がキーマンになると予想されていた。2人とも冷静にチーム状況を判断できる選手だ。だが、どうしても勝負どころでは熱くなってしまう。そんな時、明るくチームを盛り上げられる高橋がチームの潤滑剤になるだろうと期待したのだ。結果、この選択は正解となる。2003年ワールドカップの11試合で123得点をあげることに成功し、その後も竹下と息の合ったコンビプレーを見せ、ワールドグランプリや世界選手権、そして北京オリンピックでもチームを牽引した。

歴史に名を残すサウスポーエース・大林素子

現在は主にタレント活動をしている大林素子。182cmの長身とサウスポーから繰り出されるスパイクは、エースと呼ぶにふさわしい存在。

1985年のワールドカップで全日本デビューした大林は、八王子実践高校の3年生だった。この時セッターを務めていた中田久美と日立の練習以来、4年ぶりに再会。日立の練習で中田にトスを上げてもらったものの、当時14歳の大林には速すぎてまともにスパイクが打てなかったと話している。

高校卒業後、日立に入団した大林と中田はチームメイトに。以降、10年以上名コンビとして活躍。ワールドカップに3度、オリンピックにもソウル、バルセロナ、アトランタと3度出場。3度のオリンピック出場は中田に次いで女子バレー史上2人目の快挙。89年には膝半月板損傷、右足首靭帯断裂という大けがを負ったが、それでもなおコートに立ち続けた。

1995年には日本人初のプロバレーボール選手としてイタリアチームと契約。女子バレー選手の道を切り開いた存在ともいえる。