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日本バレーボールの歴史に残る奇跡の数々

2017 7/10 10:01茶色野うさぎ
バレーボールプレーヤー
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Photo by Roka Pics/Shutterstock.com

日本バレーボールの歴史には歓喜の瞬間や悲劇のような瞬間などさまざまなドラマがあった。今回はその中でも、奇跡としか言い様のない出来事の数々をピックアップしてみる。

バレーボール初の金メダル獲得、東洋の魔女

1964年東京五輪を3年後に控えた1961年、日紡貝塚の女子バレーボールチームは欧州遠征へと旅立つ。
当時から欧州勢との体格差があるなかでそれを埋める秘策として考えられたのが、柔道の受け身のように転がってレシーブをする回転レシーブと、手元で揺れる変化球サーブ。この二つの武器を使い、欧州遠征では22連勝という驚きの成績を収める。このときに東洋の魔女というニックネームが生まれた。
迎えた1964年東京五輪では当時の最強チームであるソ連に通用するのかが大きな注目を集めるが、そんな中、日本代表は圧倒的な強さで勝ち上がり、ソ連もくだして金メダルを獲得する。東京オリンピックに向けた強化が見事に実を結んだ、奇跡のような出来事だった。

男子バレーボールの歴史に残る「ミュンヘンの奇跡」

1964年東京五輪で女子バレーボールが金メダルを獲得した一方で、男子バレーボールは銅メダルに終わった。東洋の魔女が一大ブームとなりバレーボール人気が盛り上がっていた日本としては、ぜひ男子も金メダルをというのが悲願になっていたが、続く1968年メキシコ五輪では銀メダルという成績だった。
そして迎えた1972年ミュンヘン五輪。金メダル獲得を公言してのぞんだ準決勝のブルガリア戦で、得意の速攻が決まらず大苦戦。2セット先取されるという絶体絶命の中、思い切った選手交代でリズムをつかみ奇跡の大逆転劇を演じて見せた。
決勝でも勢いに乗り東ドイツを撃破し、金メダルを獲得、この奇跡的なドラマは「ミュンヘンの奇跡」として語り継がれている。

女子バレーボール、強豪セルビアモンテネグロを撃破

2006年11月8日、女子のバレーボール世界選手権(世界バレー)で日本は、ここまで無敗、この大会で銅メダルを獲得するセルビア・モンテネグロと対戦する。この時期、旧ユーゴの情勢が変わりセルビアとモンテネグロに分かれることが決まっていたため、セルビア・モンテネグロとして出場することが最後であった。
そのためこのチームの団結力は強く、勝ち目は薄いと考えられていた。実際2セットを立て続けに取られてしまったが、この日はセッターの竹下佳恵選手を中心によくまとまり、柳本JAPANの真骨頂である拾ってつなぐバレーが光った。
観客席に飛び込むような高橋みゆき選手のレシーブなどで流れを呼び込み、大逆転勝利を収めた。

女子バレーボール、32年ぶりのメダル獲得

近代のバレーボールでは強豪国との体格やフィジカルの差がより大きくなり、なかなか強豪国を破る番狂わせが起こりにくいと言われている。
そんな中で2009年に就任した真鍋監督はiPadなどを使ったIDバレーで世界に挑んだ。迎えた2010年の世界選手権、女子日本代表は躍進する。28年ぶりにベスト4進出を果たすと、準決勝では当時の世界ランキング1位であるブラジルと接戦を演じ、フルセットの末、惜敗します。
続く3位決定戦では当時の世界ランキング2位であるアメリカとの激闘となるが、フルセットの末に勝利を収め、32年ぶりの銅メダル獲得という偉業を成し遂げた。東洋の魔女以来の快挙は、今後の戦いに希望の灯をともす奇跡のような瞬間となった。

女子バレーボール、リオ五輪への希望をつなぐ大逆転

2016年5月18日、女子日本代表はリオ五輪出場をかけた重要な試合にのぞんだ。前日に韓国とのライバル対決に敗れ、五輪出場が危ぶまれる中、着々と力をつけてきたタイとの試合。
実力をつけてきているとはいえ、世界ランキングでは格下のタイには確実に勝ちたいところだったが、試合は一進一退の展開となった。第3セットと取られてセットカウント1-2とピンチを迎えるが、第4セットを何とか奪取し2-2に戻します。最終セットも7-12と5点のビハインドを背負う絶体絶命の展開となりますが、ここから奇跡の6連続ポイント。流れを呼び込んでの大逆転勝利となりました。
試合後のインタビューではキャプテンの木村沙織選手の目に涙が浮かぶほどの奇跡的な勝利でした。

まとめ

日本女子バレーボール史に刻まれる奇跡をピックアップしてみました。強力な相手に全力で立ち向かい、勝利を手繰り寄せる選手たちの姿には胸を打たれます。世代は変わっていきますが、受け継がれる精神に注目していきたいですね!