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夢と感動と愛を与えた日本バレー界の偉人5人

2016 7/23 23:12
バレーボール全日本女子監督の中田久美Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

日本人に感動を与えてくれた「鬼の大松」こと大松博文

1964年東京オリンピックで金メダルを獲得し「東洋の魔女」と呼ばれた全日本女子バレーボールチームの監督、「鬼の大松」こと大松博文。高度経済成長真っ最中の昭和30年代。諸外国に比べ体格が劣る日本人が金メダルを勝ち取ったことは、国民に驚きと感動を与えた。

その後、周恩来の招きで中国に渡り1ヶ月間中国女子バレーを指導した大松は、中国女子バレーの礎を作った。日本だけでなく他国のバレーボールの発展に寄与した大松は、まぎれもなく「バレーボール界の偉人」だろう。

日本人に愛されるバレーボールを築いた松平康隆

監督として全日本男子バレーボールチームに金と銀の2つのメダルをもたらした松平康隆。時間差攻撃やクイック攻撃などを生み出したことでも知られている。

「春高バレー」の創設や「Vリーグ」の発足に奔走し、ジャニーズ事務所のアイドルに大会のイメージキャラクターを務めさせるなど、バレーボールの普及に力を入れた。また「バレーボールワールドカップ」が恒久的に日本で開催することになったのも、松平らの尽力によるもの。

名セッターから名将へ!「愛」を持って選手に接する中田久美

日本女子バレー史上初3度の五輪出場を果たした中田久美。史上最年少の15歳で全日本代表に選出され、その後10年以上に渡り一線級の選手として活躍。引退後は海外での指導者経験を積み、その後Vリーグの久光製薬スプリングス監督に就任。チームを優勝に導くなど指導者としても結果を残している。

テレビ番組の放送時、浮かれていた選手を一喝するといった厳しい面を持つ。指導者としての手腕にも期待が持てそうだ。

大きな「夢」を実現!大林素子

バレーボール中継のレポーターやバラエティ番組で活躍中の大林素子。中田に続き、日本女子バレー史上2人目となる「3大会連続オリンピック出場」を果たした大林。1995年1月からは日本人初のプロバレーボール選手として、イタリアのチームで活動を開始。

プロ契約や海外移籍という「夢」を実現させた大林は、日本女子バレーボール界の歴史を作ったひとりであるといっても過言ではない。

後輩に夢を与えた「日本人初のセリエAプレーヤー」、加藤陽一

かつて全日本男子バレーボールチームのエースとして活躍した加藤陽一。加藤は、全日本で活躍中の2002年に世界最強といわれるイタリア・セリエAのチームへ移籍。「ベンチを温めにきた日本人」などと揶揄されながらも、セリエAのオールスター戦で外国人選抜に選ばれるなど活躍を見せた。