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男子バレー日本代表の名スパイカーにはどんな人がいるの?

2016 10/12 03:34
男子バレー スパイク
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Photo by Tatiana Popova/Shutterstock.com

どちらかと言うと繋ぐバレーの印象が強い日本にも、多くの名スパイカーが存在した。 今回は、日本バレーを彩ってきた名スパイカーを紹介する。

アイドル的な人気も!"中垣内祐一"

福井県出身で筑波大学に進学した中垣内祐一氏は、類まれなるジャンプ力を武器に多くのスパイクの山を築いた。
1990年に現在の堺ブレイザーズに入団し、スーパーエースとして存在感を示す。全盛期のジャンプ力は1メートルを優に超えていたことは、今でも語り草になっている。 全盛期の1992年にバルセロナオリンピックに出場し、日本のエースとしても活躍。
その後はチームキャプテンとしても存在感を示す。 2000年のシドニーオリンピック出場権を逃して代表を引退してしまったが、アイドル的な人気を誇る名選手だった。

Bクイックの申し子!"三橋栄三郎"

日本人はどうしても身体能力的に他国に劣りがちなので、トリッキーなプレーで相手を翻弄する戦術が必要になることもある。
そんな中、Bクイックを大の得意とする選手に三橋栄三郎氏(以下敬称略)がいた。1982年に当時最強の富士フイルムに入団して、日本リーグで優勝の常連となった選手だ。
もちろん、三橋自身もスパイク賞を何度も獲得しており、その活躍が認められて1984年のロサンゼルスオリンピックに出場する。得意のBクイックは、あまりの高速さに相手がついていけなかった。

早くして生涯を終えた天才 "大浦正文"

大浦正文氏は跳躍力に優れた選手で、1メートル以上のジャンプからくり出される強烈なスパイクで日本に多くの得点をもたらした。当時は中垣内祐一氏(以下敬称略)がいたため、あまり目立つ存在ではなかったものの、間違いなく実力的には中垣内にも引けを取らない選手だった。
日本代表としては1992年のバルセロナオリンピックに出場している。もし中垣内と生まれた時期が違っていれば、間違いなくエースにもなれた逸材だった。 才能溢れる選手だったが、胃がんのため2013年に44歳の若さで亡くなっている。

高校生で初の代表入り!"越川優"

越川優は、岡谷工業高校在学時に、史上初めて高校生で日本代表入りを果たした選手だ。 その活躍が認められ、2003年にはサントリーサンバーズに入団。2005年のアジア選手権ではベストスコアラーを獲得するなど、スパイクを中心として多くの得点を重ねていく。
2009年にはイタリアのプロリーグに挑戦するなど、チャレンジ精神も旺盛。イタリアではリベロを担当するなど、プレーの幅が確実に広がっており、未だに成長を続けている。
2012年にサントリーサンバーズに復帰し、2014/15年シーズンはMVPを獲得する活躍を見せた。イケメンっぷりにも注目が集まる選手でもある。

まとめ

最近のスパイカーは、クイックではなく、純粋にジャンプ力とスパイクのパワーで勝負する選手が多くなっている。 これは日本人の体格が良くなった証でもある。