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熱い男!松岡修造のテニス界での功績とは

2016 9/23 20:08
松岡修造 現役時代
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Photo by Niyazz/Shutterstock.com

今や熱い男として知られている松岡修造氏だが、テニスプレイヤーとして現役時代に残した功績を知りたいと思わないだろうか?
グランドスラム大会では62年ぶりベスト8や、ウィンブルドンでもベスト8になった輝かしい成績を紹介する。

松岡修造のウィンブルドンでの戦い!

今や錦織圭がテニス界をけん引しているが、当時、男子テニス界を引っ張っていた松岡修造氏。彼は、ウィンブルドンで7勝している。特に1995年大会では、持ち前の高速サーブを駆使し、ベスト8に入るなど、その力を存分に発揮した。
当時はまだ未知の世界と言われた、日本人最高位46位もマークするなど、まさにテニス界のエースだったのだ。

松岡修造の試合でここぞの時に唱える言葉とは!

松岡修造氏が1995年ウィンブルドンのベスト8を決める試合でのことだ。セットカウント2-0でリードし、迎えた第3ゲームの5-4.サービスゲームで30-0とリードした場面。このサーブが重要なカギになる。ここで一気に決めてしまわなければ、流れを持って行かれてしまう。「この1球は、絶対無二の一球なり」この言葉を心で叫び、見事ポイントを連取し、勝ちをもぎ取った。
ここぞの場面で集中する。これこそが勝ちを引き寄せることにつながったのだ。

松岡修造の武器はこれ!

松岡修造の武器と言えばやはり「サーブ」だろう。当時最速216kmをだすなど、相手選手にとっても脅威であったことは間違いない。錦織のサーブが200km台だので、その違いが分かる。
今の男子テニス界では、240km台が最速とドンドンスピードも上がっており、トップで活躍するラオニッチやワウリンカもサーブを得意としている選手だ。やはりテニスにおいてサーブが速いというのは、リターンをうまくさせないという点で有利だ。

松岡修造の足跡!

ジュニア時代からその実力を発揮してきた松岡修造。中学時代には、全日本中学テニス選手権を優勝し、柳川高校へと進む。高校時代は、シングルス、ダブルス、団体で全て優勝と3冠を達成し、テニスジュニア界では一目置かれる存在に。
その後、名トレーナーでも知られるボブ・ブレッドの目にとまり渡米し、1986年にプロになる。1992年韓国オープンでATPツアーでシングル初優勝し、ランキングも当時の日本人最高位をマークするまでになる。

松岡修造の修造チャレンジとは!

テニス界においてこれまでいろいろな実績を上げてきた松岡修造。彼もジュニア時代に実力をつけていった。今の世界で活躍できるその扉を開けられるように、バックアップし指導する場として「修造チャレンジ」を発足している。
錦織圭も参加していたことは周知の通りだ。楽しくそして自分の力を信じる。テニスの基礎は勿論のこと、メンタルの強化も行うこのチャレンジで学び、また多くのジュニアが世界に羽ばたいていくことだろう。

まとめ

当時の男子テニス界の実績を作り上げてきた松岡修造。彼は、引退後、ジュニアの育成に力を注いでいる。彼の教えを受けて世界に羽ばたく選手が近い将来でてくるだろう。