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女子テニス界の新星「日比野 菜緒」ってどんな選手?

2016 10/4 00:52
テニス
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Photo by Mai Groves / Shutterstock.com

日本女子テニス選手の中でも急成長をしている、日比野菜緒選手について知りたいと思わないだろうか?
短い期間で女子プロテニス界に現れた新星、日比野菜緒とはどんなプレイヤーなのか、詳しく紹介する。

日比野 菜緒の誕生

日比野菜緒は、1994年11月28日に愛知県一宮市に生まれた。「菜緒(なお)」という名前は、テニスの大好きな母が、元名プレイヤー「沢松 奈生子(なおこ)」からつけたもの。ちなみに菜緒の兄の名は「修造」で同じく元テニスプレイヤーの「松岡 修造」からとったということだ。
そんな兄妹がテニスを始めたのは菜緒が10歳の時で、テレビゲームにはまる兄に、スポーツをさせたいと入れたテニススクールに菜緒も一緒に入ったことがきっかけだった。

「新星」日比野 菜緒が強くなる理由

決して早くはないテニスデビューを2004年に果たした菜緒だが、2013年にプロテニスプレイヤーとしてデビューするまでわずか9年。163cm・57kgの身体から生み出すストロークには定評がある。
菜緒自身もそれを自覚して、攻めるテニスを自分の持ち味としていたのだが、「勝利」ということに焦点を置いたときに、攻めるだけでは通用しないという思いから、世界のあらゆるトッププレイヤーの試合を徹底的に研究した。そんな中で俄然テニスが楽しくなり、更に強くなっていったと言う。

日比野 菜緒がつかんだ勝利

2015年10月3日、菜緒はWTAツアー(女子テニス協会=女子プロテニスを統括する団体のツアー)で初優勝を決める。20歳の時だった。翌年にはASBクラシックトーナメント(WTAツアーの開幕戦)でベスト8に残り、大会後の順位は世界ランキング58位で日本人ではトップだった。
順位は翌週56位に上り詰め、全豪オープンで大会最高峰のグランドスラムに初出場を果たして、マリア・シャラポアと対戦し、敗れている。

新星 日比野 菜緒オリンピックへ

2016年6月のリオオリンピック選考会の日には、世界ランキング66位で、惜しくも選考基準に届かなかったものの、その後辞退者が出たためオリンピックに女子テニスシングル代表として出場の切符を掴んだ。
1回戦は勝利、残念ながら2回戦で敗退したが、オリンピックと言う晴れの舞台に日本女子テニス代表として立った日比野 菜緒は、また何かを掴んで持ち帰ってきたに違いない。

まとめ

日比野 菜緒はこれから世界を渡り歩くプロテニスプレイヤーとしての活躍が期待できる。しっかりと歩み続ける姿に、声援を送り続けたい。