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夢と感動と愛を与えた日本卓球界の偉人5人

2016 7/23 23:12
卓球
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今や卓球界は中国勢が世界を席巻していますが、歴史的に見れば日本も決して負けてはおらず、近い将来には、是非とも卓球ニッポン復活を期待したいものです。
そうした願いもを込めて、これまでの卓球の歴史を紐解きながら、レジェンドたちの活躍をなぞってみます。

かのサマランチ元IOC会長も畏敬の念で迎えた荻村伊智朗

我が国で「ミスター卓球」といえばもうこの人、荻村伊智朗以外にありません。
1932年静岡生まれの荻村は16歳から卓球をはじめ、そのわずか5年後に世界卓球選手権シングルス優勝という離れ業を演じたばかりか、以降もシングルス、ダブルス、混合ダブルス、団体で合計12もの金メダルを獲得しました。
なかでも白眉は1954年からの世界選手権団体5連覇でしょう。この記録は21世紀になって中国に破られるまで、実に40年以上に渡って輝いた大金字塔でした。
荻村はまた、現役を退いたのちも世界各国を飛び回り、卓球振興に生涯を捧げました。 この活動を目の当たりにしていたサマランチ元IOC会長は、「荻村はスポーツ界のリーダーである以上に、極めて優秀な外交官だ」と評したほどです。

ミス卓球 江口冨士枝

世界の卓球の勢力図は、現在はご存知の通り中国の独擅場となっていますが、20世紀前半はヨーロッパ勢、そして1950~1960年代にかけては日本が、世界のトップに君臨していました。 その原動力となったのが先の荻村であり、女子では江口冨士枝でした。
江口は世界選手権で6個の金メダルを獲得する業績を残しました。しかし江口は、「自分には才能がなかったから人の倍以上練習するしかなかった」というのですから、大選手というのはどこまでもストイックです。
江口は現役引退後も大阪卓球協会の第4代会長を務めるなど、卓球愛、卓球界への貢献はとどまるところがありません。

その名も愛、福原愛の卓球界への貢献は計り知れない

21世紀の日本女子卓球界を背負ってきたのが福原愛であることに、異論を唱える人は、まずいないと思われます。泣き虫愛ちゃんの愛称で、日本中のお茶の間の人気を集めた福原愛もリオ五輪後の秋には28歳になります。
2004年のドーハ世界選手権団体で、初の銅メダルに輝いた福原は、その後も都合5大会で銅メダルに甘んじてきましたが、ついにロンドン五輪では銀メダルに輝きました。
この快挙で一時期低迷していた卓球人気も見事に復活、今年のクワラルンプールでも銀を獲得して、明らかに上昇気流に乗った福原愛率いる女子団体が、リオで感動の大仕事を成し遂げてくれそうな気配となってきています。

中国の牙城を崩すか、大いなる夢の実現者、石川佳純

福原愛より5歳年下の石川佳純も、幼少期から天才ぶりを発揮した天才プレイヤーです。
小学校6年の時に出場した全日本選手権で大学生に勝ってしまったのですから驚きですが、2008年のインターハイでは実に57年ぶりの1年生チャンピオンとなりました。
石川の近年のプレイを見ていると世界制覇が近づいているのを感じます。 2009年に世界ランク99位だったのが、直近の今年5月世界ランキングでは4位に躍進し、石川の上には中国の3選手しかいなくなりました。
リオでは団体はもとより、シングルスでも一番美しく輝くメダルをとってほしいものです。

天才中の天才といわれる水谷隼には夢の五輪メダルを期待

現在世界ランキング6位の水谷隼には当然のこと、リオでのメダルの期待がかかります。
水谷はもともとは右利きでしたが、卓球ではサウスポー有利と考える両親によって、幼少期に転向させられたのだそうです。
この水谷も後を追う丹羽孝希も、女子の福原愛、石川佳純らもすべて、10代半ばにして一流選手のステージに駆け上がっています。 ただそこからが中国の巨大な壁に阻まれ、ランキングをあげることに窮していますが、水谷には五輪の大舞台でこそ、その天才中の天才ぶりを世界に知らしめてほしいものです。

まとめ

前回のロンドンオリンピックでの女子団体銀メダルは、まさに感動的でした。
今から50年以上も前に、荻村や江口らの活躍によって世界のトップに立っていた、卓球王国日本復活の足掛かりとなる素晴らしいパフォーマンスを、間近にせまったリオ五輪でみたいものです。

以上「夢と感動と愛を与えた日本卓球界の偉人5人」でした。