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日本卓球のエースを目指す、丹羽孝希選手の功績

2016 12/21 19:03
卓球,ⒸShutterstock.com
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Photo by Nomad_Soul/Shutterstock.com

リオ五輪で初の銀メダルを獲得した卓球男子団体。そのメンバーとしてメダル獲得に貢献した丹羽孝希選手は、そのルックスも相まって日本中の注目を集めた。 しかし、その実像はまだまだこれからの活躍も期待される21歳の若手選手。 そんな丹羽選手のこれまでの実績とこれからを紹介する。

7歳で始めた卓球

北海道苫小牧市で生まれた丹羽孝希は、7歳の時に卓球選手だった父親の影響で本格的に卓球を始めると、父親の同級生で実業団選手だった西村一行さんに本格的な指導を仰ぎメキメキ上達していく。しかし、丹羽が小学5年生の時に、西村さんは交通事故で亡くなってしまう。
不慮の事故により西村さんとの練習は突然終わってしまうが、今でもラケットケースに写真を忍ばせているという西村さんとの練習を原点に、わずか11歳でU-18日本代表に選出。日本卓球界で注目を集める選手となっていく。

世界でも注目を集める若手選手に

福原愛や水谷隼も通ったスポーツの名門校、青森山田中学校に進学すると、2009年3月に14歳にして出場した東京選手権シングルスで国内シニア大会初優勝。
さらに、同年に開催された第50回世界卓球選手権個人戦に初出場。世界ランク426位と世界的にはまったく無名の選手だった丹羽は、予選からの出場となったが、ランキング上位者を破り本戦出場。さらに1回戦も勝ち抜き、2回戦では世界ランク17位の選手に敗れてしまったが、その試合でのプレーが大きな話題となり、石川佳純と共に国際卓球連盟のHPで「中国に迫る若き天才」として紹介されることになった。

世界の舞台で輝き始める丹羽

2011年、17歳で迎えた第9回世界ジュニア卓球選手権に出場すると、準々決勝で中国の選手を破り決勝進出。決勝では直前の団体戦で丹羽自身が完敗を喫してしまった中国人選手との対戦となるが、この試合では中国人選手に負けないスピードと攻撃的な卓球で相手を上回り優勝。日本人2人目の世界ジュニアチャンピオンとなる。
さらに、2012年のロンドン五輪予選では世界ランク1位の中国の選手を破るなど、既に日本のエースとなっていた水谷に続く次代の日本のエースとして世界的に注目を集めるようになった。

悲願の日本チャンピオンに

次代のエースとして活躍を見せていた丹羽だが、どうしても日本チャンピオンにはなることができていなかった。その原因は、絶対的な日本のエースである水谷隼の存在。2007年の初優勝を皮切りに2012年まで5連覇と、全日本卓球選手権では水谷が圧倒的な強さを発揮、丹羽にとって大きな壁となっていた。
その悲願を達成したのは2013年1月。ロンドン五輪の後さらなる成長を目指しプレーの拠点をドイツに移し、その後迎えた全日本卓球選手権決勝でついに水谷を破り優勝。悲願の日本チャンピオンとなる。

リオ五輪を経て日本のエースを目指す

ロンドン以降拠点としていたドイツでは、2014年にリーグ最高勝率を記録するなどさらに成長。
21歳で迎えたリオ五輪。シングルスでは準々決勝で敗れてしまったものの、団体では初の銀メダル獲得に貢献する。
リオの舞台でも披露したバックハンドでの速攻は、元々は苦手としていたプレーだった。しかし、自他共に認める負けず嫌いで、中学時代から強化に取り組んできたことで、今では丹羽の武器となりつつある。このスタイルが完成した時、丹羽が名実ともに日本卓球のエースとして活躍するのではないかと言われている。

まとめ

丹羽のプレーの特徴は、巻き込むようにして打つ「チキータ」に代表されるような攻撃的な速攻。 卓球台近くに位置取り、中国選手を上回るとも言われるタイミングの速い両ハンドでの速攻は、未だ成長途中にあり、4年後の東京でエースになることを目指している。