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卓球界を引っ張ってきた福原愛の功績

2016 10/12 03:34
fukuhara
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「泣き虫」だけにとどまらなかった快進撃

福原はこの翌年、全日本卓球選手権バンビの部に5歳10ヶ月の幼稚園児として初優勝。さらに次々と史上最年少記録を作っていく。社会人リーグの大会や全日本実業団卓球選手権大会にもエキシビジョンで出場するようになり、わずか5歳ながら人気と実力を兼ね備えた卓球界最大のスター、天才卓球少女愛ちゃんが誕生した。
そして、1998年、小学校4年生でプロ宣言。後に石川佳純も所属するミキハウスと専属契約を結び、拠点を大阪に移す。 ちなみに、後に福原愛の代名詞となった「王子サーブ」はこの頃に習得。王子サーブという名前は、大阪市阿倍野区王子町で作間六郎が主催する王子卓球センターで開発したことに由来している。

愛ちゃん五輪選手に

翌年、スポーツ強豪校・青森山田中学校(水谷隼の出身校でもある)に進学した福原は、中学在籍時からプロ選手としてツアーに参加。2003年、14歳にして世界卓球選手権のシングルスに出場し、劣勢が続く日本勢の中唯一躍進を見せベスト8に進出。
そして翌年、日本人選手として唯一選ばれたドーハでの大陸予選で3位と躍進を見せ、15歳にしてアテネ五輪の代表の座を獲得した。 あの「泣き虫愛ちゃん」がついに五輪選手となったことで大きな話題となり、聖火ランナーも務めるなど日本中は大フィーバー。
残念ながらシングルスは4回戦で敗退となったが、メダルのかかっていない試合にもかかわらず、日本中が「愛ちゃん」のプレーに釘付けとなり、中継は大会トップクラスの視聴率を記録した。

北京五輪とロンドン五輪

2008年、19歳、世界ランキング10位として迎えた北京五輪では、卓球選手としては初、そして史上最年少での開会式旗手に任命。シングルスではベスト16に終わるも団体で4位と躍進を見せた。
2012年、23歳で日本のエースとして迎えたロンドン五輪では、シングルスで準々決勝進出。準々決勝では当時世界ランキング1位の選手に敗れてしまったが、平野早矢香、石川佳純と出場した団体戦では、準決勝でシングルス銅メダリストを破り、卓球日本勢五輪史上初の決勝進出。決勝では中国の前に涙を飲んだものの、日本卓球史上初の銀メダルを獲得した。

2周目と語ったリオ五輪

27歳で迎えたリオ五輪。常に上を目指し突き進んできたロンドンまでと比べ、「今回は2周目」「2周目は障害物競走、先の景色は見えていても、出てくる障害を越えないと先に進めない」と語るチーム最年長のキャプテンは、「2周目で少し強くなった姿をチームメイトや皆さんに見せたい」との言葉通り、チームを引っ張る活躍を見せる。
シングルスでは準決勝に進出。3位決定戦で石川佳純を下したキム・ソンイに敗れ、メダルは逃したものの、団体では自身と同じ15歳で初のオリンピックを戦う伊藤美誠やライバル石川佳純をキャプテンとしてサポート。2大会連続のメダルとなる銅メダル獲得に貢献する。
かつて「泣き虫愛ちゃん」と呼ばれた福原がリオの表彰台で見せた涙は日本中の感動を呼んだ。

まとめ

かねてより交際が報道されていた台湾人選手と結婚した福原愛。 結婚後も現役続行の意向を示している。 今の卓球人気を作り上げた彼女の今後の活躍にも期待したい。

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