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シンクロナイズドスイミング界の母、井村雅代さんの存在と功績の大きさ

2017 1/30 21:29
シンクロ,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

リオジャネイロオリンピックでは、日本のヘッドコーチとして日本チームをデュエットとチームで銅メダル獲得に導いた井村雅代さん。日本だけでなく中国やイギリスなどでコーチを務め、シンクロナイズドスイミング界をけん引し続け「シンクロ界の母」といわれる井村さんの功績を紹介する。

井村雅代さんの生い立ち

シンクロナイズドスイミングにあまり詳しくない人でも井村雅代さんのことはご存じなのではないだろうか。
大阪府のご出身で小学生のころから夏休みに開講している浜寺水連学校に通い、中学生からシンクロを始めたという井村さん。その後高校、天理大学を卒業したのち、中学校で保健体育の教師を務めながらシンクロの指導者となった。
日本代表コーチには1978年に就任し、1985年には「井村シンクロクラブ」を大阪府内に創設した。そして競技者の育成に努め、世界的な選手を世に輩出している。

井村雅代さんの育てた選手たち

シンクロが正式競技となった1984年ロサンゼルスオリンピックのデュエットで銅メダルを獲得。1988年のソウルでは小谷実可子・田中京組がデュエット種目で銅、1992年のバルセロナでは奥野史子がソロで銅メダル、アトランタではチームで銅メダルを獲得したほか、立花美哉・武田美保組は2000年のシドニーから2004年のアテネまでデュエット種目、チーム種目それぞれ銀メダルを獲得している。2001年の世界選手権福岡大会では世界大会では日本人初となる金メダルを獲得。
オリンピックでは日本チームの選手たちをメダル獲得に導いた井村さんの指導者としての功績の大きさが注目されている。

井村雅代さんの苦労

しかし、なぜこれほどまでに、選手たちをメダルに導くことができたのだろうか。
スパルタといわれる井村コーチの指導方法は、たとえば合宿での1日の練習時間が12時間以上もあるのだとか。また井村コーチはシンクロで整列し笑顔で演技することと同様に、部屋も美しく整頓し、常に笑顔で生活することを厳しく指導すると言われている。
シンクロナイズドスイミングの演技や技術指導だけでなく、生活指導や精神面に至るまで、選手たちの心に寄り添い、鍛えていたことがうかがえる。

日本代表コーチを退任後は

アテネオリンピックが終了した2004年には日本代表のコーチを退任し、その後中国代表チームの監督に就任したときにはみな驚き、日本からのバッシングがすごかったという。しかし、それらのバッシングにも耐え、2008年の北京オリンピックと2012年のロンドンオリンピックでは中国選手たちをチーム、デュエットともにメダルに導いているのだから、さすがとしか言いようがない。
井村コーチの指導方法は国境を越えて、選手たちに響いているのだろう。

再び日本のヘッドコーチへ

2014年に再び日本のコーチへと就任した井村コーチ。その後の活躍は、リオオリンピックでチームとデュエットで銅メダルを獲得したことで実証済みだ。

自分の目の前にいる人の人生を大切にしてあげてほしいと思うんだ。人生を預かっているって。長い人生のひとときを預かっているんだって。そう思ったら人間と人間の付き合いができると思うんです

出典: 株式会社ピーエイチピー

井村コーチは選手たちを指導するときこのような想いでいると語っている。この想いこそが、選手たちのどんなに厳しい練習であってもこの人についていこうという揺るぎない信頼につながっているのではないだろうか。

まとめ

いかがだっただろうか?シンクロナイズドスイミングをけん引してきた井村雅代さんの厳しくも愛情ある指導は、まさに「シンクロ界の母」と言えるだろう。そして、2020年の東京オリンピックでは日本チームに金メダルをもたらしてくれることを期待せずにはいられない。