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平成4年 貴花田が史上最年少優勝【平成スポーツハイライト】

2018 12/15 11:00SPAIA編集部
相撲取り
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空前の相撲ブームの火付け役

「平成の大横綱」の呼称を持ち出すまでもなく、貴乃花は平成の各界を支えた大功労者の一人だ。特にあらゆる最年少記録を塗り替えていった頃は、兄の若花田とともに「若貴ブーム」をもたらし、空前の相撲人気に火をつけた。

中学卒業後すぐに藤島部屋に入門。同時に父は「師匠」に替わった。厳しい稽古に耐え、平成2年(1990年)5月場所、史上最年少の17歳8か月で新入幕を果たすと、西の前頭筆頭まで番付を上げた平成3年5月場所初日に千代の富士との取組が組まれた。優勝31回の大横綱に真正面からぶつかった貴花田は見事に寄り切り、18歳9か月の史上最年少で金星を獲得。3日目に貴闘力にも敗れた千代の富士は引退を決意し、劇的な新旧交代となった。

大鵬の記録を1年更新する初V

平成2年9月場所に新入幕を果たした兄の若花田とともに人気は急上昇。連日、ファンやマスコミが殺到した。

それでも惑わされることなく出世街道を歩む。迎えた平成4年初場所、13勝1敗で迎えた千秋楽。貴花田は三杉里を寄り切り、初優勝を果たした。19歳5か月での初賜杯は大鵬の持つ記録を1年更新する最年少記録だった。未成年のため祝杯はウーロン茶だったという。

平成5年初場所で11勝4敗の成績を挙げ、20歳5か月で大関に昇進。父と同じ貴ノ花に改名した。 さらに翌年11月場所で2場所連続全勝優勝を果たし、横綱に昇進。最年少記録は更新できなかったが、22歳3か月の若さだった。 その後、曙とのライバル物語、若乃花との兄弟優勝決定戦など、常に土俵の主役を務め、22度の優勝を果たした。

引退後は相撲協会の改革に乗りだしたが…

引退後、貴乃花親方として相撲協会の改革に乗りだした。不祥事の続いた各界を清浄化すべく、高い志を貫いたが、時として理解されずあつれきを生んだ。 平成30年に相撲協会を退職。直後に景子夫人との離婚や元弟子・貴ノ岩の暴行発覚など、期せずして最後まで話題の中心となった。まさに平成とともに歩んだ相撲人生だった。