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この男が引退していなければ白鵬の記録達成はなかったかも ~角界の異端児・朝青龍~

2017 7/21 11:09きょういち
相撲
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Photo by J. Henning Buchholz/Shutterstock.com


 2017年名古屋場所の12日目で、通算勝利数の史上最多記録を更新した横綱白鵬。歴代優勝記録でもトップに立っており、記録上は史上最強の横綱に君臨している。

 しかし、白鵬のことを思う時、あの時不祥事を起こさなければ、現在は様々な記録でトップに立っているのではないかと思う横綱がいる。

 朝青龍。

 あまりにも破天荒な素行ゆえ、全盛期に引退を余儀なくされた第68代横綱である。白鵬が記録を更新した今、朝青龍の「悪行」をちょっと振り返りたい。

29歳で引退

 朝青龍と言えば、不祥事のオンパレードだったが、引退の引き金になったのは、暴行事件だった。

 2010年1月、初場所開催中の夜に泥酔し、一般男性を殴ったことが発覚。横綱審議委員会から異例とも言える「引退勧告書」も出された。日本相撲協会の理事会による聴取後、責任をとって引退。初場所は25度目の優勝した場所で29歳だった。まだまだ優勝回数を重ね、当時の優勝回数の歴代1位であった大鵬の32回を越すのは朝青龍と言われていた時だった。

貴乃花の足を「蹴ればよかった」

 当時の多くの好事家や記者は、朝青龍はいつか自らの不祥事で辞める時が来るのではないかと思っていたはず。それぐらい、毎度毎度騒ぎを起こす力士だった。

 筆者が朝青龍の負けん気の強さと言葉遣いの悪さを痛感したのは2002年秋場所。8場所ぶりに出場した横綱貴乃花との一戦で土俵際まで押し込んだものの、逆転の投げで敗れた。

 この時の貴乃花は、右膝を痛めながら優勝し、当時の小泉純一郎首相が「感動した」と称賛した2001年夏場所以来の出場。依然として右膝の状態は思わしくなかったが、朝青龍は敗れた後、こう語った。

 「足を蹴ってやればよかった」

 勝利にかける思いは素晴らしいが、その言葉を聞いた記者たちは絶句した。

モンゴルの先輩と「場外乱闘」

 モンゴル出身力士のパイオニアと言えば旭鷲山が有名だが、その大先輩に対し、朝青龍はトラブルを起こしまくった。

 2003年夏場所では旭鷲山との対戦で敗れた後、土俵上で審判に対して物言いを要求。さらには、さがりを振り回して、旭鷲山に当ててしまった。

 その翌場所となる2003年名古屋場所でも、2人の対決は遺恨を残すものとなった。朝青龍が旭鷲山の髷をつかんでしまい、反則負け。騒ぎは土俵上だけで終わらず、朝青龍が会場を後にする際に旭鷲山の車のサイドミラーをひじで壊した。プロレス顔負けの「場外乱闘」に、横綱の品格などなかった。
 さらにその3日後には、支度部屋の風呂場に入ったときに旭鷲山と体がぶつかり、2人の怒号が支度部屋に響いた。まわりにいた記者たちも驚いたが、モンゴル語のために意味は不明。ただ、ただならぬ状態だということはわかった。その時は角界一の怪力と言われた魁皇が間に入り、けんかはおさまったかに思えた。

仮病も使いました

 朝青龍の悪行はこれだけにはとどまらなかった。2007年名古屋場所後にはケガを理由に夏巡業を休場。ところがその休場中に、母国で中田英寿らとサッカーをしていたことがわかり、「仮病」がばれてしまった。このため、2場所連続で出場停止処分を受けた。

 このあたりから、いつかこの横綱は不祥事が原因で引退するという見方が強まった。

記者も恫喝

 小さいことを含めれば、彼の悪行はまだまだあった。

 韓国出身のスポーツ紙記者を呼びつけ、「このキムチ野郎」と恫喝したこともあった。これに限らず、たびたび、記者を脅すことがあった。

 モンゴルに無断で帰ることもあれば、日本に戻ってきたときに髷を結わずにポニーテールにしていたことも。

 稽古で若い衆や、気に入らない力士を「かわいがる」のは当たり前。朝青龍につぶされたアマ横綱もいるし、当時人気がたかった高見盛には稽古でつり落とし、肩を負傷させた。稽古を見ているのがつらいほどの、いじめっぷりだった。

悪行は負けん気の強さの裏返し

 悪いことばかり書いたが、184センチ、150キロという角界では決して大きくない体で、闘志を前面に出した相撲は素晴らしかった。日本人力士の大型化が進み、動きが鈍くなるなか、そのスピードは異彩を放ち、軟らかい体から繰り出される技も切れ味十分だった。悪行もよく言えば、その負けん気の強さの裏返しだった部分もある。

 29歳、まだまだこれからという時の引退。すでに25度の優勝を果たしていたのだから、現役を続けていたとしたらどこまで数字が伸びていただろうか。

 はっきりと言えるのは、ここまで白鵬が記録をつくるということはあり得なかったということである。