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ついに和製横綱誕生 初優勝した稀勢の里ってどんな力士?

2017 1/23 14:49きょういち
稀勢の里
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ⒸJ. Henning Buchholz/Shutterstock.com

14年不在の和製横綱

モンゴル勢に席巻される大相撲。日本人横綱が最後に誕生したのは、三代目若乃花が第66代横綱になった1998年だ。日本人横綱が最後に土俵で相撲をとったのは、第65代貴乃花が引退した2003年1月になる。

14年も不在となっている和製横綱。その空白期間を埋める力士がようやく現れた。大関稀勢の里。関取になる前から大器と言われ、関取になったのは貴花田(後の貴乃花)の最年少記録に次ぐ17歳9カ月。新入幕も貴花田の最年少記録に次ぐ18歳3カ月だ。

日本人から横綱が生まれるなら、この男しかないと言われながら、30歳でようやくその地位に上がりそうだ。これまでことごとく期待を裏切りながら、やっと初優勝した稀勢の里とはどんな力士なのだろうか。

中学は野球少年、今はアメフト好き

小学校で野球を始め、中学ではエースで4番。その身体能力の高さから、地元茨城県の強豪高校からの誘いもあったが、当時の鳴戸親方(元横綱隆の里)の熱心な勧誘もあり、角界入りを早くから決めていたという。

そんな稀勢の里だが、今はアメリカンフットボールの観戦が大好きで、テレビのゲスト解説を務めたこともある。

大学アメフト界の雄、関西学院大学の鳥内秀晃監督とも親交があり、大阪で行われる春場所では毎年のように鳥内監督が観戦に訪れる。

足がでかいんだ

鳴戸親方が亡くなる前に、「稀勢の里のどこがよくてスカウトしたんですか」と聞いたことがある。返ってきた答えは

「足がでかいんだよ」

稀勢の里は中学生の時にすでに31センチもあり、鳴戸親方よりも大きかったという。実際に見てみると、横幅も広くて、大きな楓の葉のようだ。

大きな足の何がいいかというと、力士は前に出るとき、力を入れるとき、下半身から力を出す。下半身から力を生むには、足がしっかりと土俵をとらえていなければならない。いわゆる「足で土をかむ」ということだ。土をかむ足が大きければ、それだけ安定し、力が出やすくなるのだ。

兄弟子である西岩親方(元関脇若の里)が現役の時に「稀勢の里がいつごろから強くなると思いましたか」と聞いたところ、なかなか答えが返ってこなかったが、

「足は大きかったなあ」

と振り返っていた。

記者泣かせの小声

188センチ、170キロを越える巨漢の稀勢の里だが、困ったことに支度部屋でのインタビューの声が猛烈に小さい。関取で一番小さいかもしれない。

最前列の真正面にいても、なかなか聞き取れない。さらに口数が少ないから大変だ。テレビを見るとまだ聞こるが、それは特別なマイクで拾っているから。人間の耳で聞き取るのは至難の業だ。

ちなみに口数が少ないのは、亡くなった鳴戸親方の教え。旧鳴戸部屋の力士は、支度部屋でマスコミの前では多くを語らない。それが力士の美学なのだ。ただ、普段はその限りではなく、朝稽古の後などは、結構気さくに話してくれる。その時は小声ではない。

ここ一番の弱さ

2016年は史上初めて優勝なしで、年間最多勝を獲得した。それはある意味、稀勢の里の勝負弱さを物語っている記録かもしれない。

白鵬の連勝を63で止めたかと思えば、ころっと平幕に負けてしまう。序盤をうまく乗り切り、優勝の可能性が出てきたら、大事なところで星を落とす。稀勢の里にはいつも「ここ一番で弱い」というレッテルがついて回る。

それを強く印象づけたのは、2012年の夏場所。11日目を終えて10勝1敗となり、優勝争いでは2差をつけたにも関わらず、終わってみれば11勝4敗で賜杯を逃した。

優勝力士の写真を思い返せば分かるが、優勝力士は大きな鯛を掲げている。この鯛、その日に用意できるはずもなく、優勝の可能性が出てくると、発注しなければならない。

優勝を逃した2012年夏場所、稀勢の里の初優勝のために鯛は発注され、届いていた。しかし、優勝できなかったため、鯛はさばかれて出てた。その鯛を見て、稀勢の里は涙したという。

高速まばたきが出ると要注意

なぜ、ここ一番で弱いのか。本人に聞けるはずもないが、一般的には精神力が弱いと言われている。

それを示すのが、まばたきだ。

大事な一番のとき、プレシャーがかかるとき、負けて記者の質問を受けるとき、稀勢の里のまばたきが異常に速くなる。

この高速まばたきが出ているときは緊張しているのだろう、と記者の中では言われている。

土俵上を見ていても、時折、この高速まばたきが出ている時がある。そんな時は要注意。横綱になっても、敗れる前兆かもしれない。

努力で勝つ

弱いことばかり書いたが、努力は天下一品だ。旧鳴戸部屋時代は、角界随一の猛稽古で知られていた。今もそのスタイルは変わらない。そして、その思いは入門前からあった。中学の卒業文集に、稀勢の里は次のように書いている。

「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」

彼の思いは、間違っていなかった。