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朝青龍を生み出した高砂部屋の歴史

2016 11/25 20:06
相撲
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出典 http://www.shikoku-np.co.jp

朝青龍という誰もが知っている横綱を生み出した高砂部屋。どのような歴史があって今に至るのか、高砂部屋の歴史について紹介する。

高砂部屋の歴史

高砂部屋及びその他相撲部屋の歴史は明治時代まで遡る。相撲界の変革を目指して奮闘を続けたことで有名な高砂浦五郎(初代)が作った相撲部屋だ。彼は一代で相撲界を代表する強力な相撲部屋にした。
高砂部屋は今までに横綱と大関を6人も生み出している。そのため、相撲界においては超名門部屋としてとらえられている。高砂部屋には稽古に使う土俵にも特徴がある。稽古に使う土俵に俵を使わず、皿土俵という名前の特別な形を使うのが特徴だ。これはケガの予防のためと言われており、昔からの伝統となっている。

初代高砂は相撲界の変革を目指した

初代の高砂である高見山大五郎は、相撲界の変革を目指していた。それを実現するために作ったのが「高砂改正組」だ。これを作った後、東京相撲界所を抜けることになる(その後、東京相撲界所に復帰する)。 江戸相撲に高砂という名前が重複するという理由から、江戸の高砂は高島へと名を変え、東京の高砂は浦五郎を名乗るようになった。この浦五郎という名は2代目高砂から7代目まで継承することとなる。

受け継がれていく高砂の意志

1986年以降は大きな動きがある。1986年、部屋をやめることになった大山部屋を吸収することになり、1988年には5代目の高砂が亡くなってしまった。そのため、急遽、元小結である富士錦が6代目高砂を引き継ぐことになったのだ。 6代目高砂は定年退職までその役目を全うする。7代目高砂は高砂部屋と縁が深い若松部屋を運営していた元大関である4代目朝潮が引き継ぐことになった。

朝青龍の登場

2001年には明治時代から続いてきた高砂部屋の歴史に傷が入る事態が起こる。幕内力士が一人も生み出せなかったのだ。なかなか強い力士が育てられなかったのだ。 しかし、そんな時代は長くは続かず、後に圧倒的な強さで横綱までかけあがった朝青龍が台頭する。朝青龍が台頭する期間は長く続く。その間、朝青龍だけではなく、朝赤龍や闘牙など多くの強い力士が生み出されていったのだ。

黄金時代の終焉

そんな高砂部屋の朝青龍ようする黄金時代ともいえる期間も終わりを告げてしまう。高砂部屋が誇る闘牙、泉州山、皇牙という実力のある力士が連鎖するように引退してしまったのだ。そして圧倒的存在感と強さを放っていた朝青龍も不祥事が原因で引退となる。 朝青龍の引退から現在に至っては、大関をこえる力士はこの部屋からは生まれていないという状況が続いている。

まとめ

高砂部屋は明治時代から続く由緒正しき相撲部屋だが、朝青龍が引退した現在では大関以上の力士がいない現状だ。 ぜひとも強い力士を育て上げて、また名門復活と言われる日が来るのを楽しみに待とう。