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元横綱・曙が外国人初の横綱として大相撲界に残した功績

2016 11/8 19:20
相撲
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Photo by 2630ben/Shutterstock.com

若貴兄弟の好敵手として土俵を盛り上げたハワイ出身の巨漢力士、横綱曙をもっと知りたいと思う方も多いのではないだろうか。 元横綱曙について紹介する。

ハワイ時代はバスケットボールの有望選手

第64代横綱曙太郎は、1969年5月8日にアメリカのハワイ州オアフ島で生まれた。運動能力に優れ、身長もあったことから、高校、大学とバスケットボール部で活躍する。
ハワイパシフィック大学を中退した頃、ハワイ出身力士で部屋を興していた東関親方(元関脇高見山)に誘われ、大相撲の道に進んだ。大相撲入りを決心した理由について、引退後、ハワイで日本人相手に観光ガイドができるよう、とにかく日本語を覚えたかったと述べている。
しかし、日本で初土俵を踏んでみると、曙の闘争心に火がつくことになるのだ。

初土俵で出会った大相撲界のサラブレッド

東関部屋に入門した曙は、1988年三月場所、大海の四股名で初土俵を踏む。
同期には横綱若乃花、横綱貴乃花、大関魁皇など、そうそうたる名前が揃っていた。後に花の六三組(ロクサングミ)と言われ、曙の終生のライバルとなる力士たちとの最初の出会いだ。
特に、若乃花、貴乃花の兄弟力士は、入門当時からマスコミにも取り上げられていて、人気も格別で、自分との違いを見せつけられた。大関貴ノ花を父に、横綱初代若乃花を伯父に持つ相撲界のサラブレッドには負けたくないという闘争心が持ち上がるのも、しごく当然の成り行きだった。

外国人力士初の横綱昇進

翌場所には曙の四股名をもらい、序の口で6勝1敗と好スタート切る。日本語を話せない、相撲も知らない曙は、身長200cm、体重150kgの体格がただ一つの武器だった。
そんな曙に稽古を付けてくれたのが、同じハワイ出身で高砂一門の兄弟子大関小錦だった。今をときめく大関が、初土俵を踏んだばかりの駆け出しに稽古を付けることは異例だ。同じように異国に来て頑張っている後輩への贈り物だったのかもしれない。
そうして相撲を覚えた曙は、出世街道をひた走り、1993年三月場所で横綱に昇進する。初土俵から数えて丸5年、初めての外国人横綱の誕生だった。

優勝決定戦で若貴に完勝

横綱曙のライバルとの対戦成績は、大関魁皇とは25勝6敗、横綱若乃花とは18勝17敗、横綱貴乃花とは21勝21敗となっている。対戦成績で分かるように、若貴の二人とはほぼ互角の戦いだった。
凄まじかったのが、曙が横綱になった年の1993年七月場所だった。
13日目に11勝1敗で並んでいた関脇若ノ花(後の横綱若乃花)に勝つと、千秋楽に2敗の大関貴ノ花(後の横綱貴乃花)に敗れ、3者が13勝2敗で並んで巴戦の優勝決定戦に突入する。若貴対曙の対戦で、若貴のどちらかが有利と思われたが、1戦目に若ノ花を押し倒しで破り、続いて貴ノ花に寄り倒しで勝って優勝杯を手にした。

日本人の心を持った外国人横綱の引退

横綱曙は外国人力士としては初めての横綱だ。しかし、日本人以上に日本人の意識を持つ横綱としても有名だ。
新弟子の頃、よく稽古を付けてもらった大関小錦がカド番で迎えた1993年十一月場所13日目、それまで5勝7敗の大関小錦対横綱曙の対戦が組まれた。ここで曙が勝てば小錦の大関陥落が決まるが、曙は全力の相撲で寄り切って勝った。そして、勝負がつくと小錦に対して一礼した。手抜きをしては対戦相手に失礼であり、今までの恩顧に対する一礼だった。
それから8年後、2001年一月場所の後に横綱曙は引退する。引退後は曙親方をしばらく務めた後、力士を廃業。格闘家としてデビューして現在に至る。

まとめ

ハワイ出身力士として、関脇高見山、大関小錦に続いた横綱曙は、恵まれた体を生かして順調に出世するが、外国人力士であることや、その風貌から、同期で人気抜群の若貴兄弟の敵役としてイメージされてしまう。 絶好の敵役を得て、大相撲は大いに盛り上がりを見せた。