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空から見守るエミリアーノ・サラ カーディフはこの苦難を乗り越えられるか

2019 2/8 11:00Takuya Nagata
エミリアーノ・サラ,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

クラブ史上最大の補強も飛行中に消息絶つ、捜索も手掛かりなし

イングランド・プレミアリーグで降格圏に沈むカーディフ・シティ。シーズンの後半戦で何とか浮上すべく、クラブ史上最高額の移籍金1500万ポンド(約22億円)で今冬、フランスのナントからFWエミリアーノ・サラ(28歳)を獲得した。

しかし、チームの練習合流前日に6人乗りの小型機で向かっている途中、墜落の予兆と恐怖を携帯メッセージで身内に送ったのを最後に消息を絶ち、英仏海峡のチャンネル諸島ガーンジー島の北側でレーダーからも消えた。

その直前に緊急着陸要請もあったため、異変を即座に察知し捜索が行われたが、ガーンジー沿岸警備隊は、真冬で水温は低く、生存の可能性が限りなく低いとし、3日後に捜索を打ち切った。

サポーターやチームはサラ追悼も、家族は寄付で捜索続行

それを受け、カーディフではファンが花を手向け、試合での追悼の準備も進められた。一方で、同選手の家族は急きょカーディフ入りし、その一人ロミーナ・サラは涙ながらに訴えた。「まだ生きているはず。お願いだから、捜索を止めないで」

サラ選手の母国、アルゼンチン政府やアルゼンチンサッカー協会は、捜索の再開を英仏両国に要請。アルゼンチン代表リオネル・メッシも支援を呼びかけた。居たたまれないサラの家族がクラウドファンディングで募金を呼びかけると、目標の30万ユーロ(約3700万円)を上回る額がわずか数日間で集まり捜索が再開。

4000人以上のドナーの中には、元日本代表でサラの移籍元ナントで現在、監督を務めるヴァヒド・ハリルホジッチの名もある。PSGのフランス代表FWキリアン・エムバペは、目標額の1割以上を1人で寄付し大物ぶりを発揮。同じくPSGのフランス代表MFアドリアン・ラビオもそれに近い額を寄付した。一流のサッカー選手であれば、国際移籍はつきもの。多くの選手が他人事とは思えずに、支援を行った。

その後、現地時間の2月3日にサラが搭乗していたとされる飛行機の機体が海底で発見され、翌4日にはその残骸の中に遺体を確認。そして、7日に遺体の身元確認を行っていた地元警察から、遺体がサラのものであることが発表された。

サラは2018-19シーズンに16試合に先発し12得点。187CMと長身で空中戦に強いだけでなく、足元のシュートも正確で、どこからでも得点が奪えるストライカーとして、活躍が期待されていた。

移籍金を巡り法的手続きも、パイロットの免許が商用ではなかった

カーディフ入りの際、クラブ側がパリからの商用フライトを提案したものの、サラはエージェントが手配した飛行機でナントから直接カーディフに行くことを選び、これが命取りとなった。

今回の事故の調査を進める中で、パイロットのライセンスが商用ではなかったことも明らかになった。カーディフは不備があった可能性を考慮し、移籍金の支払いを凍結。送金を行う前に法的な手続きを確認しており、手抜かりがあったフライトの手配について損害賠償を請求することも検討している。

一方、カーディフもナントから移籍金1500万ポンド(約21億円)の支払いを要求されている。事故直後は衝撃が大きく感情的に困難な時期とし、金銭的な話し合いは保留されていた。だが、現地時間6日に、期限までに移籍金が支払われない場合、法的措置に出る構えをナント側は見せていると英国メディア「BBC」が報じている。

サッカー界の飛行機事故、苦難を乗り越え強くなったクラブも

サッカー界の飛行機事故では、2016年11月28日、ブラジルのシャペコエンセが遠征中にコロンビアの山中に墜落した事故が有名。Jリーグで活躍した選手や指導者も多く含まれており、日本でも衝撃が走った。乗客乗員77名中、生存者がわずかに6名と言う壮絶なもので、生き残った3選手のうち、フォウマンは足を切断した。

もう一つの代表的な例は、1958年2月6日、ミュンヘンのリーム空港でマンチェスター・ユナイテッドを乗せたチャーター機が離陸に失敗し、乗員乗客44名のうち23名が死亡した事故だ。選手は8人が死亡し、7人が重傷を負った。

その後、両クラブがどうなったかというと、再び強いチームに返り咲いた。シャペコエンセは、ユースからの昇格、周辺クラブや選手の厚意による無償の移籍等で戦力を補い、今もブラジルの強豪クラブの地位にある。

マンチェスター・ユナイテッドは、こん睡状態から生還したマット・バスビー監督と同じく奇跡的に生き残ったボビー・チャールトンらにより、以前にも増して強いチームに生まれ変わった。これこそがスポーツの真骨頂で、人々の絆の力だ。

カーディフ・シティもこの事故で必ず大きくなる

クラブ史上最大の期待を背負い、チームを上昇させるためにカーディフへやってくる予定だったサラ。カーディフ・シティのクラブ史上最高額の補強は、数字上はクラブ史上最大の損失となった。エミリアーノ・サラは、一度もブルーバード(カーディフ・シティ愛称)として戦うことなく、クラブの伝説となった。

カーディフはウェールズの首都を背負うクラブながら、長年低迷が続きプレミアリーグにも定着し切れずにいる。今回の件でカーディフ・シティのチームやサポーターが団結し、クラブが一回りも二回りも成長した時、それはサラの魂が選手たち、そしてクラブに宿った証だということができるのではないだろうか。