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【踊るアフロ】世界最高峰のSB!マルセロが背負うもの

2017 11/20 15:44dai06
マルセロ選手
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マルセロ少年とフットサル、短かったフルミネンセでの日々

アフロヘアーが特徴的なマルセロは、1988年5月12日にブラジルのリオデジャネイロで生まれ、地元クラブであるフルミネンセFC(以下、フルミネンセ)でサッカーを始めた。
フルミネンセのユースとなったのは2002年13歳の頃で、プロデビューしたのは2005年なので、ユースを経験したのは3年間となる。少年時代のフットサル経験もあり、フルミネンセでは元々中盤の選手としてプレーしていた。
サッカーの現役引退後には、フットサルに転向する意思もあるようだ。

フルミネンセのトップチームでは、結果1シーズンしかプレーせず、2007年にはスペイン行きが決定。加入するのは名門中の名門、レアル・マドリードCF(以下、マドリード)だ。

早かった欧州上陸!10代のマルセロにかけられた期待

元々マルセロは、マドリードではなく、セビージャFCに加入する運びになっていたのだが、本人がセビージャよりもマドリード加入を希望したため、2007年の冬にマドリード入りが決定した。
600万ユーロ(約7億円)での加入と、金額だけ見ればマルセロにかけられていた期待はそれほど大きくはなかったのかもしれない。しかし当時の彼はまだ10代で、その事実を鑑みれば、この移籍金はなかなかのものと言えるかもしれない。
彼の欧州上陸はかなり早く、しかも加入したのはマドリード。これは大出世だ。

圧巻の攻撃力!レジェンドの後継者として

マルセロはSBではあったものの、チーム状況やマルセロ本人の守備面の不調もあり、本職のSBではなく、左サイドの高い位置で起用されることも少なくなかった。
だが、そこはフットサル経験者。かつての中盤でのプレー経験も相まって、圧巻の攻撃力とチャンスメイクを披露。2009年には9アシストを記録した。

この頃、マルセロは同胞であり同僚のロベルト・カルロスの後継者と目されるようになった。
彼のように優れたスピードと攻撃力を発揮し、マドリードの今後を背負わなくてはならない。名門だけにマルセロを取り巻く環境は目まぐるしく変化するが、その地位は段々と向上することになる。
そして1人の名将との出会いが、彼のプレースタイルを大きく変えることになる。

モウリーニョが変えたマルセロ!世界最高峰のSBとして

2010-13シーズンの間には、ジョゼ・モウリーニョがマドリードの監督を務めた。 選手に一切の妥協を許さないこの名将は、守備を怠る選手を特に嫌う。
マルセロは攻撃に関しては優れた才能を発揮していたものの、守備に関しては粗さが目立っていた。
マドリードの左サイドには、クリスティアーノ・ロナウドがいることを思い出してほしい。彼は守備をするか?否、しない。となれば、このタスクをこなさなくてはならないのが、同じ左サイドを主戦場とするマルセロだろう。

モウリーニョは攻撃の主軸であるロナウドを活かすべく、マルセロがこのタスクをこなすことを強く求めた。結果、マルセロはモウリーニョの指導の甲斐もあって、守備力を大きく向上させることになる。攻撃、守備の両方をこなす世界最高峰のSBに成長した。

脱後継者!マルセロが掴んだプレースタイル

ロベルト・カルロスの後継者として目されていたマルセロは、彼とはまた違ったプレースタイルを確立させた。彼のような爆発的なスピードやFKでの得点力は持たないものの、ロナウドを活かす存在として攻守両面で活躍できるようになったのだ。

ロナウドがサイドを走りたい素振りを見せれば、マルセロが素早くカバーに入る。ロナウドが中央に切り込む素振りを見せれば、マルセロが入れ替わる形でサイドを駆け上がる。
マルセロはロナウドの影として優れた力を発揮するというわけだ。ドリブル、クロス、プレッシング、そのどれもが高水準で、マルチな活躍を披露してくれる。
また、時にはロベルト・カルロスを彷彿とさせる、力強いシュートも魅力だ。2017年11月の日本代表とブラジル代表の親善試合でも、彼のシュートが日本代表のゴールを突き刺している。

クラブ、代表ともに、マルセロは世界に存在し得るSBのなかで最高の存在だ。もはや彼は、誰かの後継者などではない。マルセロはマルセロとして、孤高の存在として君臨している。