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【交錯する赤と青への想い】ウェイン・ルーニーの男気と魅力とは

2017 8/25 10:07dada
Wayne Rooney
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エヴァートンが生んだ逸材!ウェイン・ルーニー

エヴァートンFC(以下、エヴァートン)は、鮮やかな青色のユニフォームで知られるイングランドの古豪だ。イングランドのトップリーグに100年以上もの間、当たり前のように顔を出し続け上位を争ってきた。

クラブに息づく伝統と歴史は誇り高い。今回取り上げるウェイン・ルーニー選手(以下、敬称略)は、このエヴァートンが本拠地を置くリヴァプールで育った。

1985年生まれのルーニーは、1995年にはエヴァートンの下部組織に所属しサッカーの技術を磨いていた。その一方でルーニーは、元アマチュアボクサーである父、ボクシングジムを経営する叔父の影響を受け、サッカーの後にボクシングのトレーニングも行っていたようだ。

15歳の頃には、エヴァートンのアドバイスでボクシングを辞めてサッカーに専念。2002年8月17日のプレミアリーグ開幕戦では、16歳と298日という若さでプレミアデビュー。その後もエヴァートンやプレミアリーグの最年少得点記録を塗り替え続けるなど、サッカー史に残るブレイクを果たした。

エヴァートンの生え抜きであるルーニーは、名実ともにクラブのアイドルとして人気を集めるようになる。

しかし、2003-04シーズンのエヴァートンは、当時のデイヴィッド・モイーズ監督(以下、敬称略)の下でクラブ史上最低点の勝ち点39、リーグを17位でフィニッシュ。
このシーズン途中にルーニーとモイーズの関係が悪化し、シーズン終了のタイミングをもってルーニーは退団することとなった。

心機一転!赤い悪魔としてのルーニー

2004年8月31日。ルーニーはイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドFC(以下、ユナイテッド)へ移籍した。

「赤い悪魔」として名を馳せるユナイテッドは、存在感のある赤色のユニフォームで知られる。
ルーニーの出で立ちは、エヴァートン時代の青からユナイテッドへの赤という大幅なモデルチェンジとなったが、そのユニフォーム姿はとても勇ましく見えた。

ユナイテッドに移籍してからのルーニーは、サー・アレックス・ファーガソン監督(以下、敬称略)に絶対の信頼を寄せられ定位置を確保。当時「ルーニーがゴールを決めるとユナイテッドは勝つ」という有名なジンクスは1年4ヶ月も続き、いくつもの勝利を演出した。

その一方でルーニーは、「悪童」としての位置付けが目立つようにもなる。常に闘争心溢れるプレーが彼の持ち味だが、それが災いして2004-05シーズンは”17回”ものイエローカードをもらってしまう。しかし、皮肉なことにこのシーズンに決めたゴールはチーム最多の”17”。絶対に結果を出すという彼の強い姿勢は色々な形となって強く表れた。

ファーガソンの去ったユナイテッドとルーニーの変化

ファーガソンは2013年5月に、27年間続けてきたユナイテッドの監督からの退任を表明。この退任は彼の監督業からの幕引きでもあり、20回目のリーグ優勝を成し遂げてからの勇退となった。

しかし、そこからユナイテッドは長い低迷期に入る。
ファーガソンが退任した後もユナイテッドには多くの優秀な選手が所属するが、優勝を当たり前のように争えるだけの野心が見られなくなってしまった。

ファーガソンの後任となったモイーズやルイ・ファン・ハール監督(以下、敬称略)は、選手とサポーター双方からの支持を得られなかった。

モイーズはエヴァートン時代の持ち味である「負けないための戦い方」を持ち込んだ。この戦い方はゴール近くへのクロスとヘディングという極めて単調なもので、スペクタクルな展開を期待していたサポーターからの反感を買った。

ファン・ハールも多額の資金を投じながらも、どれも不発に終わり順位を上げることができず、愛弟子であるジョゼ・モウリーニョ監督(以下、敬称略)に後を託すことになる。

そんな状況下でルーニーは、自身のプレースタイルを成熟させていった。
イエローカードをもらうようなプレーは少なくなり、自分が何をすべきかを的確に判断することができるようになったのだ。

マルチな才能が救ったユナイテッドの窮地

ファーガソン退任後のユナイテッドは、前述の通り低迷期に入った。
大型補強を敢行しても上手くフィットさせることができないばかりか、多くの選手が負傷離脱を繰り返すなどして、ユナイテッドの陣容には穴ができるようになった。

その穴を埋めたのがルーニーだった。
彼は中盤のトップ下から、ボランチの位置、シャドーストライカーまでも幅広くこなすようになった。 持ち前の得点力は健在に、味方のために地道にパスを繋ぐことも厭わない。どんな時も平均以上の出来を見せるルーニーは、在籍13年でユナイテッドの看板となった。代表とクラブの両方で何度もキャプテンマーク巻き、象徴として君臨し続けた。多くの時間とたくさんの功績を重ねた彼は、かけがえのない存在となったのだ。

2016-17シーズンの第22節ストーク・シティFC戦では、直接FKに成功。クラブ史上最多得点記録となる250ゴール目を挙げ、レジェンドの仲間入りを果たす。

だが、このシーズンは加齢による運動量の減少と、モウリーニョからの支持を得ることに苦労しスタメンから落ちることが増えた。それでもルーニーは試合に出場すれば懸命に戦ったが、状況は変わらず新たに大きな決断をすることになる。

古巣、エヴァートンへの復帰だ。

戻ってきたルーニー!パジャマに込められた古巣への愛情

2017-18シーズン、ルーニーは古巣であるエヴァートンでのプレーが決まった。

13年振りに青のユニフォームに袖を通したルーニーは、かつてこのクラブでデビューを飾った頃のように誇らしい表情を見せた。
ルーニーは「戻ってこられて素晴らしい気分だ。とてもワクワクしている」とのコメントに加え、「実はこの13年間、家ではエヴァートンのパジャマを着ていたんだ。自分の子どもたちとね」と秘密を暴露。ユナイテッドに移籍してからも、変わらぬエヴァートン愛があったことを告白した。

2017-18シーズンのプレミアリーグ開幕前。
アフリカツアー中のエヴァートンは、ケニアのゴル・マイアと対戦。この試合でルーニーは、味方からのパスを受けるとすぐさま身体を入れ替え、ロングシュートを放つ。ゴールから27mの距離から放たれたこのシュートは、見事ネットを揺らし復帰後初得点となった。

会場は、かつてルーニーがデビュー後初得点を決めた時と同じように熱狂した。 ルーニーはこの愛すべき古巣で、新しいキャリアを築いていく。