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【赤と青の男】英国で輝くスペイン人MFセスク・ファブレガス

2017 8/3 12:07dada
セスク・ファブレガス
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偉大な同僚に阻まれロンドンの赤へ

フランセスク・ファブレガス選手(以下、敬称略)は、「セスク」の愛称で知られるスペイン人MFだ。 育成に定評のあるFCバルセロナ(以下、バルセロナ)のカンテラで育った。同時期にはリオネル・メッシ選手やジェラール・ピケ選手らがいた。
2003年に行われたU17の世界大会では、ブラジル代表に敗れたもののスペイン代表は準優勝。セスク自身は得点王などの栄誉を勝ち取り、一気にその名を高めた。当然、バルセロナでの活躍も期待されていたが、この頃にはアンドレス・イニエスタ選手(以下、敬称略)とシャビ・エルナンデス選手(以下、敬称略)が同じポジションにいた。
彼ら2人はバルセロナにおいて非常に互換性に優れ、攻撃の構築に欠かせない選手だった。ここにセスクが付け入る隙はなく、ヴェンゲル監督(以下、敬称略)率いるアーセナルFC(以下、アーセナル)へ移ることとなる。
赤いユニフォームを身に纏い、彼のロンドンでの新たな生活が始まった。

ヴェンゲルが愛した中盤

アーセナルを指揮するヴェンゲルは、中盤でボールを上手く捌くことのできる選手を好む傾向にある。彼の攻撃そのものが、昔からの英国由来のカウンターサッカーではなく、パスサッカーを志向していたからだ。 アーセナルには、パトリック・ヴィエラ氏(以下、敬称略)やサミル・ナスリ選手、トマーシュ・ロシツキー選手らが所属していた。彼らはいずれもヴェンゲルにより見出された優れたMFだ。セスクも彼ら同様に、アーセナルに欠かせない存在となっていく。

アーセナルに加入したのは、2006-07シーズンのことだった。ヴィエラの背番号4を背負ったセスクは、チームの攻撃を組み立てていった。ロングパスもショートパスも、速く正確に味方に届けてることができ、ここぞという時はシャドーストライカーとして得点を狙っていった。パスが正確なのだから、シュートが正確でないわけがない。彼のシュートは強烈ではなくとも、スルスルとゴールに吸い込まれていくような力を持っていた。

スペイン代表ではトップの位置で起用されることもあるが、これは単にスペイン代表にストライカーが不足していたからということだけが理由ではない。彼の前線での試合を組み立てる能力と、得点力を見込んでのことだろう。

アーセナルのサポーターは、スペインからやってきたこのMFを大いに愛した。2007-08シーズンには17アシストでランキングトップ、さらにはキャプテンマークを任される選手にまで成長した。順応が難しいと言われるプレミアリーグへの挑戦は大成功だった。

古巣への復帰とサポーターとバルセロナの陣容

2011-12シーズンからは、古巣のバルセロナへ復帰した。背番号は愛用している4。バルセロナ自身はかつてのセスクの放出は致し方のないことだったのだろう。
いくら有望とはいえ、すでにイニエスタとシャビを抱えていたバルセロナ。彼らの出場機会を奪ってまで、当時10代のセスクを起用する構想はなかったのかもしれない。

ただ、選手は当然衰えてくる。イニエスタよりも4歳ほど年上のシャビは、30代を超えると少しずつパフォーマンスを維持できなくなってきた。彼に代わる優秀な司令塔、もっと言えばバルセロナの哲学を知り得る人物が必要になる。それがセスクだった。

セスクはバルセロナに復帰してからも持ち前の得点力と、ボール配給力を披露する。宿敵であるレアル・マドリードCF(以下、マドリード)とのクラシコやクラブワールドカップ2011でも得点を決めた。 そこにはシャビの後釜としてではなく、しっかりとセスク自身の輝きがあった。アーセナルに続き、バルセロナでもかけがえのない選手となったセスクは、このまま愛する古巣でのキャリアを全うするかに思えた。

チェルシー移籍の裏にあった2つの裏切り

セスクがアーセナルに移籍した2006-07シーズンのことを、バルセロナのサポーターは忘れてはいなかった。

バルセロナはカンテラと切っても切れない関係を持っている。バルセロナに根付くティキタカの哲学はこのカンテラで磨かれ、多くの選手がトップチームへ旅立っていく。このカンテラへ向けられるサポーターの目は熱く激しい。
トップチームでの出場機会に恵まれないと見込んだセスクは、アーセナルへ移籍したが「10代の選手がそんなわがままを」と思ったサポーターも多かった。大きな愛情を受けたクラブから飛び出していったセスクに対する目は、バルセロナ復帰時から厳しかった。彼の過去の行為を、裏切りのように考えるサポーターも多く、結果を出してもブーイングされ続けた。

そんな状況下で、2014-15シーズンのバルセロナにはルイス・エンリケ監督(以下、敬称略)が就任する。エンリケはタイトルから遠ざかるバルセロナを立て直すべく、大鉈を振るう。その一つがイヴァン・ラキティッチ選手(以下、敬称略)の獲得だった。彼はセスクほどの得点力はないが、負けず劣らずのボール配給力を持っていた。

セスクはこのラキティッチと、サポーターに追われる形でバルセロナを去る。行き先は再び英国のロンドン。次はアーセナルとの裏切りが待っていた。

続く苦難と栄光!ロンドンの青へ

2014-15シーズン、セスクはチェルシーFC(以下、チェルシー)でプレーすることとなる。身に纏うのは青のユニフォームだ。背番号はアーセナル、バルセロナ時代に続いて4。

同じロンドンに本拠地を置くクラブには、古巣であるアーセナルが存在する。チェルシーとアーセナルの試合はビッグロンドン・ダービーと呼ばれ非常に白熱する。
ライバル視している同クラブ間の移籍は禁断だ。間にバルセロナを挟んでいるとはいえ、アーセナルのサポーターはチェルシーへの移籍を良しとはしなかった。アーセナルとの試合でセスクがボールを持てば必ずブーイング。セスクにとってはバルセロナ時代を思わせる悲しい出来事だっただろう。しかし、サポーターはそんなことは気にしない。彼に容赦なくブーイングを浴びせ続けた。

しかし、セスクはチェルシーでも結果を出す。リーグで18アシストを記録し移籍初年度でタイトルも獲得。かつての恩師ヴェンゲルを敵視するモウリーニョ監督(以下、敬称略)の下で輝いて見せた。前線のジエゴ・コスタ選手やエデン・アザール選手らの足元にピタッと落とし込むパスは彼にしか出せない。

2016-17シーズンはアントニオ・コンテ監督がチェルシーの指揮をとった。モウリーニョの下で輝いていたセスクは、少しずつ出場機会を奪われていく。ただ、途中出場をすれば必ず決定的なボール運びを行った。セスクは何度も不運に見舞われるが、「チェルシーで幸せ。出場機会が減っているのは悲しいことだけど、チームが上手くいっていることは嬉しい」と語る。

古巣を二度も飛び出し、ロンドンで赤と青のユニフォームに袖を通したセスク。スペインが生んだこの天才MFは、この先どこへ行くのだろうか。