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生ける伝説!神の子リオネル・メッシが歩む人生

2017 5/17 09:55dada
Lionel Messi Celebration
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バルセロナと歩み始めた13歳

リオネル・メッシ選手がFCバルセロナ(以下、バルセロナ)に所属したのは13歳の頃のことだった。13歳というと中学1年生。身体もまだまだ成長しておらず、メッシ選手もあどけなさの残る子どもだった。ただ、彼は後に世界を代表するサッカー選手へと成長する。

彼の伝説はアルゼンチンから始まった。
母国アルゼンチンのクラブチーム、ニューウェルズ・オールドボーイズでは、小さいながら他の子どもたちには真似できないようなプレ—を連発。相手選手の間をするすると抜け出せるドリブルスキルを持っていることを見せつけ始める。

メッシ選手は13歳でバルセロナの入団テストを受ける。そして見事合格。彼を見出したとされるカルロス・レシャック氏との逸話では、正式な契約までの間に「紙ナプキンで仮契約を交わしておいた」というものもある。

病との闘い、クラブが支えた成長

メッシ選手の契約がすぐさま正式なものになるまでには、約3ヶ月の時間を要したとされる。これにはメッシ選手が抱えていた病に理由がある。
メッシ選手は「成長ホルモン分泌不全症」にかかっていた。これは身長が伸び悩む病気で、基本的には完治させることはできず成長ホルモンを注射等で投与することで、「少しでも身長を伸びるようにする」といった治療しかできない。

13歳時のメッシ選手の身長は140cmほどで、いくら小柄な選手が多いスペインリーガにおいても、身長の低さを心配する声は少なくなかったようだ。

そこでFCバルセロナはメッシ選手の病気の治療を徹底的にサポート。治療にかかる多額の費用を負担した。 結果メッシ選手は身長170cmにまで成長した。※一部では身長169cmとも。

クラブはメッシ選手に大きな可能性を感じたのだろう。そして、メッシ選手はこの期待に十分に応えている。バルセロナでの人生はメッシ選手の人生の一部だ。バルセロナがあるからこそ、メッシ選手が存在する。メッシ選手が存在するからこそ、今のバルセロナがあると言っても過言ではない。 両者は特別な絆で結ばれているのだ。

ロナウジーニョの後継者、10番を背負うということ

2008−09シーズンは、メッシ選手が大きく羽ばたいたシーズンとなった。 前シーズンまでは日本でもお馴染みのロナウジーニョ選手が所属し、バルセロナの10番として絶大な人気と、圧倒的な存在感を放っていた。
その彼が抜けた後にサポーターに漂ったのは、大きくとても寂しい喪失感。心に穴がぽっかりと開いてしまったような感覚だ。

メッシ選手は前シーズンに40試合出場16ゴール10アシストを決めていたものの、やはり「ロナウジーニョほどになれるかどうか」ということを不安視する声があったのも事実だ。というのも、ロナウジーニョ選手は自身で得点を挙げるだけでなく味方も活かせる選手だったからだ。メッシ選手も「ロナウジーニョ選手に活かされているからこその活躍だったのではないか」と思う声があったとしても不思議ではない。

メッシ選手はこのシーズンからロナウジーニョ選手の10番を引き継ぐ。これまでの幾度となく負傷離脱を繰り返していたが、このシーズンはケガなしで51試合に出場。38ものゴールを挙げ、FIFA最優秀選手賞、バロンドールの両方を獲得した。

メッシはなぜ右サイドで輝けるようになったのか

メッシ選手は左利きの選手だ。もちろん彼ほどの実力者であれば利き足でない足も難なく扱うことができ、両利きかのような器用さを発揮できる。
しかし、彼は本来右サイドからゴール前へカットインするような動き出しを得意としており、左足でのゴールやチャンスメイクを得意としている。

前述の2008−09シーズンの躍進にはダニエウ・アウヴェス選手という右サイドにおける相棒が見つかったことも原因の一つだろう。
ダニエウ・アウヴェス選手は、右SBの選手だが素早いオーバーラップや強烈なシュートを得意する。ディフェンスにおいても持ち前のスピードを活かし、激しく正確なプレスをかけにいくことができる。

メッシ選手と右サイドでタッグを組んでからは、ワンツーパスなどで巧みに抜け出しながらバルセロナの攻撃を牽引していった。メッシ選手が活躍できたのは、ダニエウ・アウヴェス選手が居なければ無理だったか、単発的なものにしかならなかったかもしれない。

アルゼンチンとブラジル、南米出身の2人はお互いに理解できる面も多かったのかもしれない。

MSNはかくして生まれた!不安視する声を一蹴

2014−15シーズンからはメッシ選手、ネイマール選手、ルイス・スアレス選手による「MSN」という攻撃トリオを結成。結成から100試合目にはメッシ選手が出場84試合で86ゴール33アシスト。ネイマール選手が出場79試合で56ゴール24アシスト。スアレス選手が出場86試合で68ゴール39アシストという凄まじい記録をはじき出した。

当初は彼ら3人の共存は難しく、それぞれが自分のために動くのではないかとされた。しかし、そんな心配をよそにお互いを活かし活かされの関係を築き、ただひたすらにバルセロナの勝利のためにプレーした。

メッシ選手はスアレス選手加入当初は中央でプレーしていたが、途中から入れ替わる形で右サイドにシフト。持ち前のスピードと攻撃センスを存分に発揮した。スアレス選手も持ち味である素晴らしいダイアゴナル・ラン(斜めに走り込むこと)によって、ゴールを量産することに成功している。

メッシは走らなくなった?彼の存在しない世界

2017年3月、CLでパリ・サンジェルマンFCに大逆転を成し遂げたバルセロナ。しかし、この間にメッシ選手は強い言葉で批判されてた。
メッシ選手を批判したのはフランス代表監督を務めたこともあるレイモン・ドメネク氏だ。彼はかねてより選手との衝突が絶えないことでも有名だ。

ドメネク氏は「メッシはピッチの中央でプレーしていた。走りたくない時の典型的なパターン。落ち目の選手」などと痛烈に批判した。 確かにドメネク氏の言う通り、メッシ選手は右サイドでのプレーだけが主ではない。むしろ「メッシ選手のポジションはない(フリーポジション)」と言った方が適切だろう。 メッシ選手はどこでもプレーすることができ、影響力も大きいため特定のポジションには留まらず中央でプレーする時間も増えてきている。

ただ、これを落ち目とみるのは短絡的だろう。メッシ選手は中央でボールを受けることで相手DFを数人引き付けることができるし、味方へのチャンスメイクの質は高まる一方だ。確実に結果を出し続けているのだから、右サイドでひたすらに走ることが無くなったとしても、バルセロナに欠かせない選手であることは事実だ。

しかし、選手生命には限りがある。1989年生まれのメッシ選手がキャリアの折り返し地点にいることも事実だろう。かつてのロナウジーニョ選手が居なくなった後のバルセロナが危惧されたように、メッシ選手が居なくなった後のバルセロナがどうなるのかということを不安視する声も少なくない。

おそらくはネイマール選手がその後を引き継ぐことと思われるが、移籍の噂が絶えない彼に任せきるのもリスキーな気がする。 今はまだ、メッシ選手の伝説が少しでも長く続くことを祈りたいところだ。