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平成5年Jリーグ開幕!初代王者はヴェルディ川崎【平成スポーツハイライト】 

2018 12/18 11:00SPAIA編集部
Jリーグ,イメージ画像,ⒸShutterstock.com
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日本リーグの人気低迷でプロ化へ機運高まる

今ではワールドカップに出場するのは当たり前、日本選手の海外リーグ移籍も珍しくなくなったが、平成が始まった頃は全て夢のような話だった。日本サッカー界にとって、国内プロリーグの創設がもたらした効果は計り知れない。

Jリーグが開幕したのが平成5年(1993年)。カズ、ラモス、武田らスター選手が誕生し、日本は空前のサッカーブームに沸いた。

日本サッカーリーグ(JSL)の観客動員が低迷し、長らくプロリーグの必要性が叫ばれていた。ドイツから帰国した奥寺康彦、木村和司ら一部の選手がプロ契約するなどプロ化の機運は徐々に高まり、日本サッカー協会(JFA)が「プロリーグ準備検討委員会」を設置したのが平成元年。その後、参加希望を募り、平成3年に最初の10クラブ(オリジナル10)や「Jリーグ」という名称が発表された。

平成4年にはリーグ戦開幕に先んじてヤマザキナビスコカップを開催。決勝は56,000人が集まった国立競技場で行われ、ヴェルディ川崎が優勝。

翌年5月15日、ついに日本サッカー界待望のプロリーグが開幕を迎えた。

マイヤー第1号、ジーコはハットトリック

開幕カードはJSL時代に「2強」だった読売クラブと日産自動車の流れをくむヴェルディ川崎vs横浜マリノス。超満員の国立競技場で行われたド派手なセレモニーで川淵三郎チェアマンが開会宣言する様子がNHKで全国中継された。

記念すべき第1号ゴールはオランダのフローニンゲンからヴェルディに加入したマイヤーだった。前半19分、ペナルティエリア外から放った豪快なミドルがゴールネットを揺らした。後半に入り、エバートンとディアスのゴールでマリノスが2-1で逆転勝ちした。

翌日には他会場でも試合が行われた。カシマスタジアムでは、鹿島が元ブラジル代表の「神様」ジーコのハットトリックとアルシンドの2ゴールで、元イングランド代表リネカーのいた名古屋に5-0で大勝した。

1stステージはその鹿島が制し、2stステージはV川崎が優勝。翌年1月に行われたチャンピオンシップではV川崎が勝ち、見事に初代王者に輝いた。

観客動員も視聴率も予想以上

華やかな演出で従来のサッカーファンだけでなく、若者や女性の支持も得たJリーグ。平成5年の観客動員数は1試合平均17,976人となり、目標だった1万人を大きく上回った。

5月15の開幕戦はサッカー中継史上最高視聴率の32.4%をマークし、「Jリーグ」は同年の新語・流行語大賞に選出。

まさにバブルと言える大ブームが到来し、日本サッカー新時代の幕開けを印象付ける1年となった。