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プレイバック! Jリーグ元年の外国人選手

2018 5/7 10:30奏希01
サッカー,ゴールネット,シュート
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外国人プレーヤービック3

最近Jリーグではフォルラン、ポドルスキ、ジョーなどワールドクラスの外国人選手を獲得し盛り上がりを見せているが、Jリーグ元年である1993年には近年に勝るとも劣らない名プレーヤーがいた。今回はJリーグ元年の名プレーヤーを振り返ってみよう。

Jリーグ初年度は各クラブ、1人で局面を打開できる外国人選手を獲得しようと躍起になっていた。その中でも鹿島アントラーズのジーコ、ジェフユナイテッド市原のリトバルスキー、名古屋グランパスエイトのリネカー、この3人がビッグ3と呼ばれる大物だった。

この3選手はまさに三者三様と言っていいほど異なる結果を出した。ジーコはケガで戦線離脱することが多かったがチームの骨格を作り、弱小と呼ばれた鹿島をサントリーシリーズ(今でいう1stステージ)優勝に導いた。

リトバルスキーはワールドクラスのドリブルを随所に見せプレーでチームをけん引した。リネカーは思うような活躍ができず、さらにはチームもパッとした成績を残すことができず帰国してしまった。

活躍した、しなかったは別として、プロリーグを発足した国にこれだけの世界的プレーヤーが集まったのだ。

名前を聞いたら思い出す。印象深い選手

最もセンセーショナルなデビューを果たした外国人プレーヤーとして、まず鹿島のアルシンドの名が挙がるだろう。鹿島は開幕戦で名古屋と対戦し、5-0と鹿島が快勝したわけだがこの時、ジーコに勝るとも劣らぬ活躍を見せたのが2得点を挙げたアルシンドだった。得点王争いにも絡み最も愛される外国人プレーヤーの1人だ。

清水エスパルスに加入したシジマールも印象深い選手の1人だ。長い手足でゴールマウスを守り、「クモ男」という愛称をつけられた彼は守備で観客を魅了することができる選手だった。1ヶ月で登録抹消となったものの2017年に現役復帰したことで話題を呼んだ。

アルシンド、シジマールが成績を残したことでファンを魅了し愛されるプレーヤーになったのとは異なり、ゴールパフォーマンスでファンから愛された選手もいる。清水のトニーニョと横浜フリューゲルスのモネールだ。トニーニョはゴール後両手を広げ飛行機の真似をするパフォーマンス、モネールは仲間とおしりをぶつけ合うパフォーマンスでファンを楽しませた。

派手さはない。だけどすごかった選手

派手さが全面的に出た外国人プレーヤーもいたが、活躍しながらも騒がれない選手も存在した。横浜マリノスのディアスは得点王になったにもかかわらず、アルシンドの方がメディアで取り上げられていた。決定的な働きという意味ではディアスの方が上手だった。引退後には、アルゼンチンで実力を誇るリーベル・プレートの監督になったほどだ。

鹿島のサントスも忘れてはいけない。ジーコ、アルシンドと言った超ド派手なプレーヤーがいたため表立って取り上げることはなかったが、初年度のベストイレブンに輝いている。守備範囲が広くまさにいぶし銀といった活躍をし、鹿島優勝の立役者といっても過言ではない。礼儀正しく、真面目で日本になじみ、10年間Jリーグで活躍し、Jリーグ功労選手賞を贈られたサントスは、所属チームを強くしただけでなく、日本サッカー界に多大な影響を与えたのだ。

余談だが、彼の息子はリオ五輪で通訳として活躍した。その際に「仕事の守備範囲の広さは父譲り」と職員の評価は高かった。