見せつけられる資金力の差、つなぎとめたい有力選手
率直にいえば、海外リーグとJリーグの最も大きな差は"資金力"にある。金さえあれば何でもできるとは言いたくないが、2010年代に入ってからのサッカー界の動向を鑑みると、金さえあればと思ってしまうのは致し方ないことである。
現に資金力に物を言わせるクラブはいくつか存在している。
世界の経済がボーダレスになるにつれ、サッカーを取り巻くビジネスにも変動が起きている。スポンサー料や放映権料など多額の資金が舞い込み、選手もクラブも金持ちになった。
多額の資金を得たクラブは、その資金で選手を買い集め、クラブのブランド価値を上げる。ブランド価値のあるクラブには、また大金が入り、また有名な選手を買い集める。このサイクルが続いている。
日本が失われた20年を過ごしている間に、お隣中国のリーグも急成長を遂げた。国を巻き込んだこのムーブメントは、やはり多額の資金を武器に選手を買い集める流れとなり、欧州からも有名選手を集めることに成功している。
そうして着実に戦力を増強しながらACL(AFCチャンピオンズリーグ)等でも躍進を遂げているのだ。
2018年1月には、浦和レッドダイヤモンズに所属しACLで大活躍したラファエル・シルバが同クラブを電撃退団。移籍先は中国2部のクラブだった。
日本が有名選手を当たり前のように獲得する、そして、つなぎとめ続けることはそう容易ではない。
スーパースターはどこからやってくるのか?選手の育成と流出を考える
海外には何人ものスター選手がいる。そのなかにはスーパースターとも呼ぶべき、世界トップクラスの選手も存在する。
彼らは当然のようにゴールやアシストを連発し、彼らが所属するクラブも当然のように勝ち星を積み上げ、タイトルを奪っていく。
しかし、日本には未だこのような「絶対的な」選手は現れていない。もちろん、「超新星」、「天才的」といった言葉で期待された選手がいなかったわけではないが、彼らが世界を席巻するような活躍を見せることはできなかった。
海外へ挑戦してもJリーグに戻ってくるような選手や、負傷から満足に回復できない選手も存在する。
では、スーパースターと呼ばれるような選手はどこからやってくるのだろうか。
結論から言えば、彼らは忽然と現れるわけではない。天賦の才能を持つ選手はいるが、彼らも一定のプロセスを経て世に出ていくはずだ。
Jリーグにも、彼らのような選手が育つ環境がないわけではない。サポーターの支持も厚い。ただ、彼らをもてはやし、また非難するだけの外野の存在はあまりにも多く、選手の心的な負担になっている事実は否めないだろう。
さらには、若くてもプロ契約・スポンサー契約を結ぶケースは海外では当たり前で、それがプロとしての自覚を高め、成長の助けになっていることは言うまでもない。
あのパトリック・クライファート氏の四男であるシェイン・クライファートは9歳でナイキと契約を交わしている。
こうしたケースが起こるのは、あまりにも流動的な市場に置いていかれないように、あるいは将来的な補強を見越して選手を確保しておくためだ。この点に関しては、日本の危機感の希薄さを痛感せざるを得ない。
久保建英や中井卓大など、海外の有力クラブで成長を遂げている選手が出てきているのは喜ばしいことではあるが、裏を返せばそれは"流出"なのだから…。
父から子へ、子から孫へ受け継がれるサッカーの文化と歴史
悔しいことに海外クラブの歴史は日本のそれよりも遥かに長い。1846年にケンブリッジ大学の学生が統一ルール制定を提案して以来、各地でクラブが誕生。
当たり前のように創立から100年を超えるクラブが存在しており、今にその歴史を伝えている。
百数十年を超えるような歴史は、人々と共にある。父から子へ、子から孫へと受け継がれるクラブへの愛は非常に強い。
その愛情の強さ故に、サポーター間で衝突する事態も起こっているが、これも1つの文化だ。この文化を目の当たりにした時、畏敬の念にも似た不思議な感情が湧き上がる方も少なくないだろう。
「あの頃にはあの選手がいた」、「その50年前にはあの選手がこんなゴールを決めた」、こうした数十年単位の思い出話が、今日もイングランドのいくつもの小さなバーで語り継がれているのだ。
Jリーグはすでに20年の節目を迎えた。「父から子へ」の感動を味わっている方もいるのではないだろうか。
その次は子から孫へ。30年先、40年先の感動が待っているはずだ。
そうしてクラブに注がれる愛はより深く強いものに、人々の文化となり歴史となり後世に紡がれていくに違いない。それまではまだ時間がかかるが、待ち焦がれた先にある感動はひとしおだろう。
3世代でチャントを歌う日はきっとやってくる。