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ジュビロ磐田のレジェンドナンバー背番号9の歴史

2018 1/4 15:20Aki
現役時代の中山雅史,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

ジュビロ磐田の背番号9、中山雅史

ジュビロ磐田を代表する背番号といえばやはり9番だろう。ジュビロ磐田はもちろん、日本を代表するストライカー中山雅史氏が長年背負った背番号だ。

Jリーグで固定番号制度が導入されたのは1997年。ジュビロ磐田がJリーグに昇格した1994年は、まだ先発メンバーが順に1番から11番をつける変動番号制度をとっていた。
しかしこの時点で既に、日本代表でも活躍を見せるストライカーとなっていたため、ジュビロ磐田の9番といえば中山氏のものとして固定されていた。

1994年3月12日に行われたジュビロ磐田のJリーグ初戦、Jリーグサントリーシリーズ 第1節鹿島アントラーズ戦でも、中山氏は背番号9番をつけて先発。
そしてその後、彼がJリーグ初ゴールを決めたJリーグサントリーシリーズ 第3節ヴェルディ川崎(当時)戦でも背番号9番をつけてプレーしている。

中山が9番以外の番号をつけてプレーしたのは

そんな中山氏がジュビロ磐田でのJリーグの試合で、9番以外の背番号をつけた事があるのをご存知だろうか。その試合は、1995年の開幕戦となるJリーグサントリーシリーズ 第1節ジェフユナイテッド市原(当時)戦と、1996年Jリーグ 第11節横浜フリューゲルス戦の2試合である。

しかし、この2試合で中山氏が9番をつけなかった理由はそれぞれ異なる。後の1996年第11節横浜フリューゲルス戦では、ベンチスタートの試合となった。
変動番号制では先発メンバーが1番から11番と決まっているため、ルール上中山氏が9番を背負う事は不可能だった。そのため、15番をつけ79分より出場している。

一方、先の1995年の開幕戦、ジェフユナイテッド市原(当時)戦では先発出場にもかかわらず、11番をつけてプレーしていた。中山氏が11番を背負ったのは後にも先にもこの試合のみだった。
そこにはどのような背景があったのだろうか。

11番をつけた中山

ジュビロ磐田がJリーグに昇格した1994年。既にチームのエースだった中山氏だが、前年のドーハの悲劇に繋がった日本代表出場や、クラブでのハードスケジュールの影響でグロインペイン症候群(股関節の付け根の怪我)を発症。
わずか12試合の出場に留まり、シーズンのほとんどを棒に振る長期離脱となった。

1年近くにも渡るエースの長期離脱をうけ、ジュビロ磐田はシーズン途中に新加入選手を獲得する。中山氏の離脱と入れ替わるような形で加入したのが、元イタリア代表でワールドカップ得点王のサルバトーレ・スキラッチ氏だった。
スキラッチ氏が中山氏の9番をつけチームを牽引、エース長期離脱の穴を埋めたのだ。

そして中山氏が負傷から復帰を果たすこととなる翌1995年の開幕戦、9番は引き続きスキラッチ氏が背負い、中山氏が背負ったのは11番だった

9番はスキラッチ氏から再び中山へ

スキラッチ氏が9番、中山氏が11番をつけた1995年のJリーグ開幕戦、ジェフユナイテッド千葉戦は圧倒的に攻め込みながらもゴールを奪えず、さらに試合終盤に失点を喫してしまい0-1の敗戦。
中山氏の復帰戦は黒星に終わった。続く第2節のガンバ大阪戦はホーム開幕戦という事もあり、どうしても勝利が欲しい試合だ。

この試合を前にして、中山氏に対してスキラッチ氏からある提案があったという。その提案とは「9番と11番、背番号を交換しよう」というもの。
中山氏のことを

「ジュビロの中で一番のプロフェッショナルだった。 技術以上に闘志が凄かった」

出典:スポニチ Sponichi Annex

と評価するスキラッチ氏が、中山氏に9番を譲る形をとったのだ。1995年の開幕戦で初めてコンビを組んだこの2トップは、この後2人の愛称から「ゴン・トト」と呼ばれるJリーグ史上最も破壊力のある2トップとなっていった。

現在は太田吉彰がつける9番

中山氏が1994年から2009年まで背負い続けていたジュビロ磐田の背番号9番は、その後2年間の空白期間を経て、2012年からは山崎亮平選手(現・アルビレックス新潟)が背負うことになった。
山崎選手が移籍後の2015年からは、当時J2で苦しんでいたチームを助けるために、およそ6年ぶりにベガルタ仙台から復帰した太田吉彰選手が背負う。復帰した2015年にはジェイ選手(現・北海道コンサドーレ札幌)と抜群のコンビを見せ、J1復帰に大きく貢献した。

太田選手はポジションとしてはストライカーではなく、サイドの選手だが、中山氏と同じくプロフェッショナルとしての高い意識を持つ選手だ。
しかしこの太田選手も既に34歳。清水エスパルスなどでプレーした兄・太田圭介氏が引退した時と同じ年齢に。キャリアも終盤となってきた。

今後この中山氏、スキラッチ氏、山崎選手、太田選手によって受け継がれてきた9番を誰が背負うのか。現在のエースである川又堅碁選手や、アダイウトン選手、さらには将来を期待される小川航基選手など在籍の選手からなのか、それとも新たな選手が出てくるのか。
いずれにしても9番の後継者は大きな注目を集めることとなるだろう。