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セレッソ大阪の背番号2番から見る、ドイツサッカーとの意外なつながり

2017 10/13 10:05Aki
セレッソ大阪
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セレッソ大阪の2001年から2005年に起こったことは

ストッパータイプの影山氏が2番を付けるようになった2001年から、ブルーノ・クアドロス氏が2番を付け始めた2005年の期間に何があったのかを見ていく。
この時期といえば、2002年の日韓ワールドカップに、森島氏・西澤明訓氏・尹晶煥氏(現監督)と3人もの選手を出場させながらもJ2降格。しかし2003年にJ1に復帰すると、いきなり天皇杯で決勝進出。と、浮き沈みが大きかった期間と重なるのだが、それが背番号に影響しているのだろうか。実は、その裏により明確な証拠となる出来事があった。

それは、ドイツブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンとの提携を結んでいたことだ。
後にプロ野球日本ハムファイターズの社長も務める藤井純一氏が2000年にセレッソ大阪の社長となると、出向元である日本ハムの縁でバイエルン・ミュンヘンのトップと密な関係になった。その結果2000年から2005年までアドバイザリー契約を結ぶこととなったのだ。

そう、セレッソ大阪で2番を付ける選手の特徴が大きく変わった時期と、このドイツサッカーの雄であるバイエルン・ミュンヘンとの提携関係を結んだ時期がピッタリ重なるのだ。
そして、この時期からセレッソ大阪はドイツサッカーの代表的なフォーメーションである3バックを主に採用し始めたのである。
この期間の最終年にあたる2005年には優勝争いを演じながらも、後半アディショナルタイムに同点で追いつかれ優勝を逃す「長居の悲劇」が起こり、さらに翌2006年にはJ2降格と、決してハッピーエンドを迎える事は無かった。
しかし、後にレヴィー・クルピ氏によりブレイクするセレッソ大阪の奥底には、実はドイツサッカーのエッセンスも加わっているということが、受け継がれてきた背番号2番の歴史からも伺い知る事ができる。

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