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日本サッカーの界レジェンドが背負った、横浜F・マリノスの背番号10

2017 10/13 10:05Aki
横浜F・マリノス
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遠藤彰弘氏、山瀬功治選手、小野裕二選手が引き継いだ10番

中村俊輔選手がヨーロッパの舞台で戦っていた頃、横浜F・マリノスの10番は3人の選手がつけていた。
まず最初に10番を引き継いだのは、遠藤彰弘氏だ。ガンバ大阪の遠藤保仁選手の兄としても知られる遠藤彰弘氏は、決して派手な選手ではなかったが、抜群の安定感を見せるプレーメーカーとして活躍。しかし10番をつけたのは2004年の1年のみで、2005年には8番に戻すこととなる。

2005年から10番をつけたのは山瀬功治選手だ。当時、横浜F・マリノスの監督がコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)時代の恩師である岡田武史氏だった事もあり、横浜F・マリノスへ移籍すると1年目から10番を背負い躍動を見せる。
中村俊輔選手や木村和司氏の様なゲームメーカータイプではないが、センスあふれるアタッカーとして、2006年からは日本代表にも定着した。また、元韓国代表の朴智星氏は同年代だった事もあり、山瀬功治選手を高く評価していた。

山瀬功治選手が退団後、10番をつけたのはユース出身の小野裕二選手だ。クラブ史上初となるユース出身の10番(中村俊輔選手はジュニアユースから桐光学園高等学校に進学後加入)で、高校3年時から既に2種登録選手として活躍をみせていた事から、トップチームに正式加入した1年目から10番を背負うこととなった。

10番を背負う覚悟を決めた、齋藤学選手

中村俊輔選手が横浜F・マリノスからジュビロ磐田に移籍した、17年の1月15日に行われた2017年新体制発表会で発表された背番号リストでは、10番は欠番となっていた。
このリストで前年に引き続き11番となっていた齋藤学選手は、登録選手で唯一契約更新や他クラブへの移籍が発表されていない選手となっており、海外移籍が濃厚だと見られていた。
しかし2017年2月8日に横浜F・マリノスは、齋藤学選手と2017年度の契約更新を発表する。合わせて背番号も1月15日に発表されたリストにあり、前年までつけていた11番ではなく、10番へと変更されることも発表された。この背番号変更は本人が希望したものだという。

齋藤選手はドリブラーで、中村俊輔選手とはプレースタイルも全く異なる。10番になったからといって突然何かが変わる訳でもないが、齋藤選手は自分にプレッシャーをかける意味で、伝統の横浜F・マリノスの10番を付ける事を希望し、移籍した前任者中村俊輔選手と連絡をとり、その旨を伝えたそうだ。
木村和司氏から始まり、偉大なる先輩が引き継いだ横浜F・マリノスの10番は、斎藤選手が未来へと繋いでいくこととなる。

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