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川崎フロンターレの背番号10番が持つ歴史を変える大島僚太選手

2017 9/13 14:03Aki
サッカー
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ブラジルとの関係が深い、川崎フロンターレ

今やJリーグを代表する強豪クラブの1つとなっている川崎フロンターレ。
前身の富士通サッカー部から川崎フロンターレとなったのはJリーグが既に開幕していた1997年とJリーグの中では比較的新しいクラブで、Jリーグに加入したのはJ2が設立された1999年だった。
このクラブ設立時から現在まで続く伝統の1つがブラジルとの密接な関係。
川崎フロンターレはプロ化にあたって、ロナウジーニョの出身クラブでもあるブラジルの名門グレミオと提携。現在も使われている川崎フロンターレのクラブカラー、サックスブルーとブラックはグレミオのクラブカラーであり、初代ユニフォームは、グレミオのデザインがほぼそのまま使用された。
そのため、川崎フロンターレにこれまで在籍してきた外国人選手はほぼブラジル人選手。
1999年から2017年に川崎フロンターレに在籍した外国人のうちブラジル人以外の選手は6人しかいない。

歴代ブラジル人が引き継いた、エースナンバー10番

もう1つ川崎フロンターレとブラジルの関係の深い関係を表しているのが、これまで背番号10番を背負ってきた選手達だ。
サッカーにおける背番号10番は特別な番号。かつてブラジル代表でペレ氏が10番を背負って以来、世界中で攻撃の中心選手がこの番号を背負ってきた。
川崎フロンターレで最初に背番号10番を背負ったのはベッチーニョ。ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)でも10番を背負いJリーグ入りに貢献した攻撃的ミッドフィールダーが、Jリーグ入りに向けて動き出した川崎フロンターレでもこの番号を背負った。

ここからこの10番はブラジル人のクラッキと呼ばれる特別な才能を持つ選手が受け継ぐことになった。
2代目10番は提携先のグレミオからレンタルで加入したティンガ。後にブラジル代表にも選ばれドイツのボルシア・ドルトムントでもプレーする事になる選手が川崎フロンターレの10番を背負い、その後もマジーニョ、リカルジーニョと続く。
そして川崎フロンターレの10番を最も輝かしい番号としたのは9シーズンに渡って10番をつけたジュニーニョ。J1、J2の両方で得点王となった、川崎フロンターレの歴史上最も重要な選手の1人だろう。
近年で最も輝かしい功績を残したのは、ジュニーニョの後継者として10番を受け継いたレナト。
爆発的なスピードとテクニックで川崎フロンターレの攻撃を牽引。
川崎フロンターレが設立されて以来、10番は一貫してブラジル人選手が背負ってきた。

日本人選手として初めて10番をつけた大島僚太選手

2016年1月17日に行われた川崎フロンターレの2016シーズン新体制発表会で、この歴史が大きく変わる発表が行われる。
前年まで背番号16番を背負っていた大島僚太選手が、クラブ史上初めて日本人選手として背番号10番を背負う事になったのだ。

これには川崎フロンターレサポーターにとっても2つの大きな驚きがあった。
1つは10番はこれまでブラジル人選手のみがつけてきた番号であった事。そしてもう1つは大島選手がそれまでつけていた16番が、中村憲剛選手のつける14番の様に大島選手の象徴として新たな大切な番号になるのではないかと考えていたからだ。
大島選手が川崎フロンターレに加入したのは2011年。静岡学園高校時代は3年生の途中までは全国的にも無名の選手だったが、2010年9月に行われた高円宮杯全日本ユース選手権でブレイク。本人は大学進学を考えていたが11月に入り急遽川崎フロンターレ入りが決定し、背番号30番が与えられた。プロ入り3年目となる2013年に背番号16に変更すると、チームの中心選手としてはもちろん、日本代表にも選出されるなど大きな飛躍を果たす。この16番は大島選手のブレイクと共にあった番号だった。

大島僚太選手の10番に込められた思い

大島選手に背番号10番への変更を持ちかけたのは、クラブの強化部だったという。
かつての川崎フロンターレは強力なブラジル人アタッカーを前線に揃えるチームだったが、近年のチームの主役は日本人選手となり、華麗なパスサッカーを繰り広げるチームへと変貌。そんなチームの中で10番にふさわしい選手は、大島僚太選手しかいないという事だったそうだ。
この打診を受けた大島選手は、名誉だと感じると同時に戸惑いもあったという。
自分は他のクラブでのプレーを認められ移籍したわけでもない。これまでのクラブが積み上げてきた10番とはプレースタイルも含めて全てが異なるからだ。
この変更について大島選手本人より相談を受けた中村憲剛選手は、大島選手が10番を背負う事に疑問符をつける人はいないと伝え、自分なりの10番像を作っていけばいい、チームのために全身全力で頑張っていれば自然とそうなる、と語ったそうだ。
川崎フロンターレの14番のイメージを作り上げた中村選手にその様に伝えられた大島選手はこの10番への変更を受け入れ、この10番を自らの成長のきっかけとなるプレッシャーにしようと決意したという。

大島僚太選手の手で川崎フロンターレの10番をさらに重要な番号へ

2016年から川崎フロンターレの10番を背負う大島僚太選手。イタリア代表のアンドレア・ピルロ選手やポルトガル代表のデコ選手に憧れ、実は子供の頃から好きな番号は10番だったそうだ。
しかしそのきっかけとなったのはピルロ選手やデコ選手ではなく、漫画キャプテン翼の主人公・大空翼くん。特に好きなところは翼くんが相手の得意技を盗んでしまうところで、今でも「いろんな選手の良いところを盗みたい」と考えプレーをし続けている。
その為、例えばボール奪取力やシュート力、ドリブルなど攻撃や守備の何かを伸ばしたいというよりも、もっとシンプルにうまくなりたい。攻守において全てがまんべんなく高い、漫画キャプテン翼の主人公・大空翼くんが理想の選手で、理想の10番像だそうだ。

2016年は、シーズン途中で地球の裏側、リオ・デ・ジャネイロオリンピックを戦うハードスケジュールもあって、オリンピック終了後は一時ダウンしてしまう事もあった。がしかし、ピッチに立つと、これまでは中村憲剛選手のサポート役に回る事も多かったが、明らかに積極性を増していた。
そして2017年はさらにその傾向を高め、自分で奪って、攻めて、つなぐ、そんなプレーヤーへと成長を見せている。
大島選手が川崎フロンターレの10番として大ブレイクを見せる日は、そう遠く無いのかもしれない。