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柏レイソルを牽引する小さな巨人、中川寛斗選手

2017 8/3 12:07Aki
サッカー,黄色
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2017年好調の柏レイソル

2017年の明治安田生命J1リーグ第15節終了時点で、首位に立っているのは柏レイソル。

2016年シーズンはファーストステージ、セカンドステージ共に優勝争いに加わることができず、年間順位も8位。2017年シーズン開幕に向けての補強として、ベガルタ仙台からハモン・ロペス選手を獲得したものの、J1で実績のある選手は、チームの中で彼一人しかいない。シーズン開幕後には、元日本代表の細貝萌選手を獲得したが、同時期に田中順也選手や茨田陽生選手など複数の主力クラスが、退団してしまった。

2016年に結果を残した浦和レッズや川崎フロンターレ、鹿島アントラーズの3チームはもちろん、大型補強を敢行したFC東京やヴィッセル神戸などと比べ、柏レイソルにそれほど多くの期待が集まったわけではなかった。

そして2017年のシーズンが開幕しても、開幕戦こそサガン鳥栖戦に勝利したものの、第2節から3連敗。ホーム初勝利は第8節まで待たなければならず、決して順調なシーズンの立ち上がりではなかった。

クラブは、開幕直後の結果が出なかったこの時期、試行錯誤を重ねていた。その結果として産まれた布陣・戦術が完全にフィットすると、なんと第7節から8連勝を達成。この快進撃を支えた主役の1人が、中川寛斗選手だ。彼は第4節から先発の座を掴んでいる。

Jリーグで最も身長の低い選手

埼玉県さいたま市出身の中川寛斗選手。サッカーを始めたのは地元のチームに入ったことがきっかけで、小学校4年生の時に柏レイソルの下部組織に加入する。同期には、現在柏レイソルの守護神で、日本代表にも選出された中村航輔選手らがいた。

中川選手はその後、期限付き移籍先となる湘南ベルマーレでプロデビューを果たし、サッカーメディアに多く取り上げられることとなる。それは、中川選手の「ある特徴」が原因だった。

中川選手の身長は155cmである。 中川選手の身体が小さいのは子供の頃から。小学校6年生の時の身長は127cmしかなかった。
あまりに背が伸びないので専門的な調査を受けるが、調査の結果、20歳になった時点でも150cmほどであろうと専門家から告げられていた。周囲から医療的な処置を受けないかと勧められるほどだった。

当時は、身長の低いということが理由で、監督が変わるとどうしてもチームから外されることが多かった。
身長について悩んだ中川選手は、トップレベルでのプレーをあきらめかけたが、父親からのアドバイスで克服することができた。背の低い選手でも活躍できるんだという事を証明しようと、邁進する。ハンデをモチベーションにつなげ、柏レイソル下部組織の中心選手にまで成長する。そして、各カテゴリでタイトルを獲得していくことになる。

大きな分岐点となったチョウ・キジェ監督との出会い

柏レイソルの下部組織に在籍中、現ヴァンフォーレ甲府の監督吉田達磨氏や、柏レイソル監督の下平隆宏氏の指導を受け、確実な成長を見せた中川選手。
その後にはトップチームへと昇格する事になるが、そう順調に昇格できたわけではない。

中川選手にトップチーム昇格の話が出てきたのは少し遅めの高校3年生の時。しかし当時のトップチームにはレアンドロ・ドミンゲス選手やジョルジ・ワグネル選手などJリーグを代表する外国人選手が在籍。昇格すると中川選手はそんなビッグネームとポジションを争わなければならなかった。

しかし、当時の実力では、未だ、彼らビッグネームとは渡り合えないと判断した中川選手は、大学進学する旨をクラブに相談。それを受けたクラブは中川選手の意思を踏まえ、トップチームには昇格させるものの、そのまま湘南ベルマーレへのレンタル移籍することを提案する。

これを受け入れた中川選手はトップチーム昇格と同時に、2013年からの2年間、湘南ベルマーレでプレーすることになった。
当時の湘南ベルマーレの監督は現在もチームを率いる名将チョウ・キジェ監督。
中川選手はこの湘南ベルマーレでチョウ監督と出会い、大きく成長する。元々運動量には秀でた選手だったが、湘南ベルマーレでその走力をより活かす事を学び、ここでのプレーが現在の中川選手のプレースタイルにつながる。

ようやく柏レイソルでポジションを掴んだ中川選手

中川選手が柏レイソルに復帰したのが2015年。この年からクラブは、下部組織とトップチームのサッカースタイルを融合させることを目指し、吉田達磨氏をトップチームの監督に就任させる。吉田氏は下部組織の基礎を作った人物だ。

クラブにとって満を持しての吉田体制だったが、結果を残せず1年で退任。翌2016年にはブラジル人のミルトン・メンデス監督を招聘し路線変更を図る。このメンデス体制も多くの問題を抱え、開幕後わずか3節で監督が退任してしまう。

後任には再び下部組織で指揮していた下平監督を就任させ、チームは再び下部組織との融合を図る選択をする。
中川選手は復帰したものの、クラブのゴタゴタもあり、出場機会を得られていなかった。出場機会を得られるようになったのは下平監督就任後の事だった。

高校時代の恩師である下平監督から中川選手が任されたのは、攻守で役割を変える戦術的に重要なポジション。2016年は中川選手にとって手応えのあるシーズンとなる。

しかしプロの世界は厳しい。中川選手は手応えを感じたものの、2016年のチームの順位は8位。攻撃力に問題を抱えていたため、クラブはベガルタ仙台からハモン・ロペス選手を獲得する。迎えた2017年の開幕戦でポジションを失ったのは中川選手だった。

しかし、中川選手が外れたチームは守備力が低下。ガンバ大阪、川崎フロンターレに複数失点を喫すると、下平監督は再び中川選手の起用を決断する。第4節から4-4-2の2トップの1人として中川選手を起用するようになるとチーム状態は上向いた。中川選手はポジションを確固たるものにしていく。

90分間続けるプレッシング

中川選手の最大の特徴は、90分間走り続けることができる走力だ。この走力は、攻撃の場面のみならず、守備の場面でより効果を挙げる。中川選手は、相手ディフェンダーにはもちろん、時にはゴールキーパーにまでプレッシングをかけ続ける。

前線のプレッシングというのは、当然ながらそこで直接ボールを奪う事ができない事も多い。
しかし、それでも精力的にプレッシングを続ける事で、相手選手は不正確なロングパスを蹴るしかなく、結果的にチームは相手からボールを奪い返す事が可能となる。理屈としてはシンプルだ。

しかし、「無駄走り」を続けないといけないこの動きを、実際に90分間続けるのは非常に苦しい。
それを苦にせず続ける事ができる存在が、チョウ・キジェ監督の下で運動量を活かすプレーを学んだ中川選手。このスキルこそが彼の最大の魅力である。

現在柏レイソルのメンバーは、中川選手と同じ下部組織出身の選手がスターティングメンバーに名を連ねる。最終ラインはまだ若く、さらにサイドバックの2人には高さが無い。つまり、押し込まれた状態で跳ね返すだけの強さに欠けてしまうのが実情である。

このディフェンスラインの問題点をカバーしているのが、最前線に入る中川選手。
中川選手が前線で90分間休まずプレッシングをかけ続ける事で、ボールをできるだけ自陣ゴール前から遠ざけ、最終ラインの問題点をカバーしている。

現在の柏レイソルの好成績を牽引しているのは、日本代表入りも果たした中村航輔選手。確かに彼のスーパーセーブ抜きでは考える事は出来ない。しかしそれと同じぐらいチームにとって重要なのは、中川選手の90分間止まないプレッシングである。中川選手の存在は貴重なのである。