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サンフレッチェ広島の歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
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チームに心惹かれれば、その過去についても知りたいと感じるようになる。よりサンフレッチェ広島について理解を深められるよう、過去の5人の監督の功績をお伝えする。

サンフレッチェ広島の歴代監督1:バクスター

サンフレッチェ広島がひときわ世間の注目を浴びたのは、1994年のファーストステージで優勝し、グランドチャンピオンシップの結果、Jリーグ準優勝した時だ。シーズン開幕時には優勝候補に挙がっていなかったサンフレッチェ広島の躍進は、当時の日本サッカー界にとって驚きだった。

当時チームの指揮を執っていたのが、イギリス出身のスチュワート・バクスターだ。バクスターのサッカーの基本は、今でいうところの「コレクティヴなサッカー」だ。約束事を重視し、スピーディーにパスを回して相手ゴールに迫るスタイルは、非常に印象的だった。特定の個人に頼らないサッカー、フェアプレーの強調、そして戦術重視のスタイルは、今日のサンフレッチェ広島にも引き継がれている。

サンフレッチェ広島の歴代監督2:ヤンセン

バクスターの次に就任したのが、オランダ出身のビム・ヤンセンだった。ヤンセンはヨハン・クライフが活躍したころのオランダ代表のメンバーだったこともあり、大きな期待を集めた。しかし実際はリーグ戦では目立った成績を挙げられず、天皇杯準優勝2回が印象に残る程度だ。

ただ、ヤンセンの招聘は個の力を高めようとしたサンフレッチェ広島のチーム方針に基づくものでもあった。後に独特の個性を持ったストライカーとして名を馳せることになる久保竜彦も、ヤンセンの時代に起用されるようになった。また、アトランタ五輪のブラジル戦で決勝点につながるロングパスを放った路木龍次が、ヤンセンのもとで大きく成長したことも見逃せないポイントだ。

サンフレッチェ広島の歴代監督3:トムソン

ヤンセンの後任となったのは、直前までオーストラリア代表の指揮を執っていたスコットランド出身のエディ・トムソンだ。就任当初のトムソンは、ほぼリトリートと言ってもよいような守備重視のサッカーで、ヤンセン時代の不振はある程度脱却した。

前線に久保竜彦1枚を残してのカウンターは、久保の個の力もあって十分な脅威を相手チームに与えた。下位に低迷しかけていたサンフレッチェ広島を救った功労者と言えるだろう。

現在のサンフレッチェ広島が受けに回っても強いのは、トムソン監督時代の遺産が生きていると考えることもできる。選手からも慕われており、サンフレッチェ広島を去った後2003年に55歳の若さで亡くなった時には、誰もがその早過ぎる死を悼んだ。

サンフレッチェ広島の歴代監督4:ヴァレリー

トムソンの後を受け就任したのが、ロシア出身のヴァレリー・ニポムニシ監督だ。ヴァレリー監督のサッカーは、トムソン監督時代とは打って変わった攻撃的なもので、就任当初の基本フォーメーションは433だった。それまでのサンフレッチェ広島の歴史にないほどの攻撃的なサッカーは、就任当初は機能しなかった。

しかし、徐々に力を発揮できるようになり、就任した年のセカンドステージでは3位に入るという躍進を遂げている。ヴァレリー監督は、わずか1年足らずでチームを去ることとなるが、サンフレッチェ広島の攻撃サッカーの可能性を示した監督と言えるだろう。

サンフレッチェ広島の歴代監督5:ペトロヴィッチ

ヴァレリーの後、ガジエフ、木村、小野、望月監督を経て就任したのが、セルビア出身のミハイロ・ペトロヴィッチだ。ペトロヴィッチは守備にはあまり重きを置かず、攻撃重視のスタイルを目指した。ゴールキーパーも含めた最終ラインからつないでいくスタイルや、攻撃時には4バックになる独特のフォーメーションもペトロヴィッチ時代に始まったものだ。

選手からの信頼も非常に厚く、2007年にJ2への2度目の降格が決まった際には、選手の流出を恐れた当時の社長から異例の続投要請を受けたほどだ。現在のサンフレッチェ広島のスタイルの基盤を作り上げたのは、間違いなくペトロヴィッチと言ってよいだろう。

まとめ

これまで見てきたように、サンフレッチェ広島の歴代監督にはヨーロッパ出身の監督が非常に多い。サンフレッチェ広島の前身であるマツダのころからで、後に日本代表監督になるハンス・オフトが指導していたこともあった。

そのためサンフレッチェ広島の特徴はヨーロッパ系の戦術重視のサッカーということが言える。リトリート、ポゼッションなどと揺れ動きながらも、ヨーロッパ系のサッカーを貫いてきたことが今日の躍進につながったと言えるだろう。