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鹿島アントラーズの歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
サッカーボールとゴール
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Photo by Gelner Tivadar/Shutterstock.com

強豪といえば鹿島アントラーズがまず思いつくが、長期政権の監督が多い中でどのように一貫した姿勢を貫いているか知っておきたいのでは?アントラーズを指揮したこれまでの監督は、チームに何をもたらしたのかについて解説する。

Jリーグ初代優勝チームに導いた!宮本征勝

1993年のJリーグファースステージで、ジーコやアルシンドを配して魅力的なサッカーを展開していた。そのチームをまとめ上げたのは、言うまでもなく監督の宮本征勝だ。元々、メキシコオリンピックで銅メダルを獲得したメンバーとあって、選手としての実績は十分だった。その実績をしっかりと監督としても活かして、スター選手もしっかりとまとめ上げたのは流石の一言だ。
その後、何と20年近くも鹿島アントラーズでは日本人監督が生まれなかった。人を育てるという重要なミッションもしっかりとこなした、レジェンドであるといえる。

常勝チームを作り上げた!ジョアン・カルロス

鹿島アントラーズといえば、数多くのタイトルを獲得してきたチームだが、その流れを強く印象漬けたのがジョアン・カルロス政権だ。1996年にJリーグ優勝に導く手腕を発揮しただけでなく、1997年にはゼロックススーパーカップ、Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯の主要タイトル4冠を達成するという偉業を達成する。曖昧さの無い的確な起用は、見ているファンからも思わず拍手が起こるほどだった。ただ、一方で特にブラジル人選手との確執が目立つ監督だった。
アントラーズ時代も、ジョルジーニョとの確執が原因で、1998年のシーズン途中に辞任している。もう少し人心把握ができていれば、もっとすごい監督になっていたのかもしれない。ただ、この厳しい姿勢がこの監督の特徴でもあるのだ。

監督としても超一流!トニーニョ・セレーゾ

ジーコとともにブラジル代表の中盤を支え、黄金のカルテットの一員でもあるトニーニョ・セレーゾが監督に就任したのは2000年のことだ。前任のジーコからの悪い流れを断ちきれず、最初は厳しい戦いが続いたが、徐々にアントラーズらしいサッカーを展開してタイトルを獲得していく。6シーズンもの間、アントラーズを指揮し続けたが、意外にもJリーグ優勝は最初の二年だけだった。ただ、それ以上にインパクトの強い監督だった。
監督業だけでなく、練習においては背番号42番を付けて練習に参加することもしばしばだった。自分が持てる技術を余すところ無くアントラーズに注入してきたのだ。

指揮したシーズン全てでタイトル獲得!オズワルド・オリヴェイラ

ブラジル人らしからぬ、どこか知性が合って上品な監督という印象が強いのがオズワルド・オリヴェイラだ。選手としてのキャリアはなく、監督としてのキャリアも何と49歳からと超遅咲きの監督だった。ただ、アントラーズではJリーグ3連覇を達成するなど、抜群な起用術で多くのタイトルをもたらした。若手選手を育てるのが得意な監督でもあり、内田篤人を一流選手に育てたのは言うまでもない。
一見クールに見えて、実は熱血漢な面があり、そのギャップにも驚かされた。技術を押し出すサッカーをしていたアントラーズに、体力勝負のサッカーを注入したことは高く評価されている。

まとめ

ここ数年は監督がコロコロ代わり、少しアントラーズらしさが失われている印象がある。
ただ、生え抜きの石井正忠が監督に就任して、かつての流れが復活しつつある。今後のアントラーズに目が離せない。