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清水エスパルスの10番を背負ってきた名選手5人

2016 8/13 15:01
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静岡の産んだJリーグ初代新人王、澤登正朗

Jリーグが固定背番号制になった1997年、清水エスパルスでは満場一致で、Jリーグ初代新人王の澤登正朗にエースナンバー10番を託した。

東海大学第一高等学校(現・東海大学付属静岡翔洋高校)2年生の時に選手権で優勝し、3年生では準優勝と輝かしい結果を残した澤登は東海大学に進学。その後、Jリーグ開幕前夜の1992年に清水に入団し、以降引退する2005年まで清水一筋でプレーした正にミスターエスパルスだ。

卓越した技術と正確なキックでチームを牽引。特に右足から繰り出されるキックは素晴らしく、フリーキックで何度もゴールを奪った。

2006年のJリーグ新人王、藤本淳吾

澤登の引退後に10番に指名されたのは、藤本淳吾だった。

藤森が清水に加入したのは2006年からだが、大学生だった2005年から特別強化指定選手としてナビスコカップでプレーしていたため、シーズン序盤こそプロの壁に苦しんだものの、右サイドにポジションを移すと左利き特有のボールの持ち方で視野の広いプレーを披露。シーズン終盤にはハットトリックも記録し新人王にも選ばれた。清水時代の活躍が最も印象深い選手だ。

その後名古屋グランパス、横浜F・マリノスを経て、現在は清水時代の恩師である長谷川健太が監督として率いるガンバ大阪でプレーしている。

名門清水商業が産んだスター、小林大悟

3人目は小林大悟だ。高校卒業後に東京ヴェルディと大宮アルディージャを経て、ノルウェー、ギリシャを渡り清水に加入した小林は、清水以外のプロ経験を持つ唯一の10番だ。東京V、大宮時代はゴールもアシストもできるテクニシャンとして大活躍し、ノルウェー時代はヨーロッパリーグでスペインの強豪バレンシアとも対戦した。

そんな小林を清水に迎えた理由は、サッカー名門校である地元清水商業で活躍した選手だったからとされている。サポーターも「新加入」より「お帰りなさい」の感情の方が大きかったのではないだろうか。しかし怪我に悩まされ、残念ながら清水ではあまり活躍することは出来なかった。

サッカーIQの高いマルチプレーヤー、河井陽介

小林の10番を引き継いだのは河井陽介だった。藤枝東高校時代に高校サッカー選手権で準優勝した経歴がある。その後慶応大学に進学し、清水エスパルスに加入した。

10番を背負ったのは2年目のシーズン。これまでの10番と違い派手なプレーは少ないものの、サッカーIQが高く、当時の監督だったゴトビ監督からも「非常に賢く、試合を読める選手」と評された。

元々は攻撃的な選手だが、守備的なポジションでも苦なくプレーすることができ、サイドバックとしても質の高いプレーを見せていた。

現在の清水エスパルスを引っ張るチームの顔、大前元紀

現在、清水エスパルスで10番を背負う大前元紀が清水に加入したのは、今から9年前の2008年。そしてチームの主力となったのは、岡崎慎司と藤本が移籍した2011年からだ。一気に若手が増えたチームで中心となり、スピードを活かし両サイドからゴール前に侵入するプレーなど、岡崎らが抜けた穴を埋める活躍を見せた。

その活躍が認められドイツのデュッセルドルフに移籍したものの、同シーズンにチームが降格してしまったため再び清水に復帰。それから2年後のシーズンに、背番号10を背負うことになった。

以前は期待の若手という立場だったが、復帰後はチームの中心として自覚も芽生え、現在はキャプテンとしてJ1復帰を目指している。