「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

鉄人への道を歩み始めたヴィッセル神戸、高橋峻希選手

2017 6/30 12:56Aki
サッカー エンジ
このエントリーをはてなブックマークに追加

リーグ戦連続フル出場

2017年5月14日に開催された明治安田生命J1リーグ第11節、浦和レッズ対アルビレックス新潟戦で偉大な記録が誕生する。この試合で先発フル出場を果たした浦和レッズの阿部勇樹選手は、J1リーグ戦での連続フル出場を138試合に伸ばした。それまでサンフレッチェ広島の水本裕貴選手と並んでいたフィールドプレーヤーとしての連続フル出場記録137試合を抜き、単独1位となった。
阿部選手の記録にピタリと追走しているのが横浜F・マリノスの中澤佑二選手である。阿部選手よりも3試合後に始まったリーグ戦連続フル出場記録を2017年5月14日現在でもまだ続けている。
連続フル出場は、監督の絶大なる信頼を得ている事はもちろんだが、怪我を負うことも許されない。またレッドカードだけでなく累積警告による出場停止も許されない為、フィールドプレーヤーとしてはかなり難しい記録でもあるのだ。
それだけに、それを4年をかけて続けている阿部選手や中澤選手の偉大さ、鉄人ぶりが際立つ。
だが他にも、この2人に比べるとまだまだ短いものの、彼らに続く形で2016年の開幕戦から2017年5月20日に開催された、明治安田生命J1リーグ第12節までリーグ戦での連続フル出場を続けている選手がいる。それがヴィッセル神戸の高橋峻希選手だ。フィールドプレーヤーとして2017年5月20日現在、1シーズン以上リーグ戦で連続フル出場を達成しているのは、阿部選手、中澤選手、高橋選手の3人だけである。

チャンスを掴みきれなかった浦和レッズ時代

2009年、山田直輝選手、濱田水輝選手、永田拓也選手と共に浦和レッズユースからトップ昇格を果たした高橋選手。
浦和レッズジュニアユースに所属していた2005年にはキャプテンとして高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会で優勝し、2006年にはAFCU-17選手権に出場し優勝に貢献した。2007年のU-17ワールドカップでも現セレッソ大阪の柿谷曜一朗選手、水沼宏太選手、現横浜F・マリノスの齋藤学選手らとともに出場し、右サイドバックとしてプレーした。
この頃からトップチームの練習に参加するようになり、2008年には2種登録選手に。2008年5月25日のナビスコカップ第4節、浦和レッズ対名古屋グランパスでトップチームデビューを果たすと、3試合に出場する。トップ昇格となった時には既に、将来の浦和レッズを背負って立つ期待の選手として注目を集めていた。
しかしプロ1年目に怪我で出遅れると、プロという壁を前に苦しむ事になる。その後、何度もチャンスを与えられ、時に輝くプレーを見せるもののチャンスを掴みきれず、また怪我を繰り返したことで平川忠亮選手、宇賀神友弥選手の後塵を拝する事となり、2012年7月にJ2ジェフユナイテッド千葉への期限付き移籍が発表されることとなった。
ユース時代から定評があった攻撃力は高い評価を受けていたのだが、守備が不安定だという評価を覆すことができなかった。

大きな転機となったジェフユナイテッド千葉での1年半

自ら環境を変える決断をし、ジェフユナイテッド千葉へとチームを代えた高橋選手。加入から1ヶ月になろうというタイミングでチャンスを与えられると、安定したプレーを披露し、たちまち右サイドバックのポジションを確保するようになった。
翌2013年には前年の手応えと出場期間を考え、ジェフユナイテッド千葉への移籍期間延長を決断する。2013年はシーズン序盤は右サイドバック、シーズン途中に現ガンバ大阪の米倉恒貴選手が右サイドバックにコンバートされると、今度は左サイドバックとして安定したプレーを披露した。プロ入り後初めて1年間を通じてポジションを確保することが出来た。
高橋選手がジェフユナイテッド千葉でプレーした1年半は、2シーズン続けてJ1昇格プレーオフに出場を果たすが、2012年は決勝で敗退。2013年は準決勝で敗れJ1昇格とはならなかった。
このタイミングで移籍期限の満了を迎えた高橋選手は浦和レッズ復帰という道もあったが、ヴィッセル神戸への移籍を決断する。ヴィッセル神戸はこの2013年をJ2で戦っており、対戦相手として直接戦った中で高橋選手を高く評価し、獲得オファーを出していた。

自信をつけてJ1に戻ってきた高橋選手

シーズンを通じ、主力選手としてプレーする経験を得てJ1に戻ってきた高橋選手は、2014年シーズンの開幕戦で、その前年まで不動の右サイドバックだった奥井諒選手を差し置き先発の座を掴んだ。
高橋選手と奥井選手は同年代で、U-17日本代表時代にもポジションを争うライバルだった間柄だ。奥井選手はガンバ大阪のジュニアユースからユース昇格とはならず、履正社高校、早稲田大学を経由しヴィッセル神戸に加入するという経歴を持っている。
この2人が8年の時を経て再びポジションを争う事となり、U-17日本代表では攻撃力を評価されポジション争いを制した高橋選手が、ジェフユナイテッド千葉での1年半で向上した守備力を評価され、再びポジション争いを制することとなった。
加入翌年の2015年にヴィッセル神戸の監督に就任したネルシーニョ監督からも、従来からもつ攻撃力だけでなく、ジェフユナイテッド千葉での1年半で向上した守備力、そしてユーティリティー性を高く評価されることとなった。

現在Jリーグで最も安定したプレーを見せる右サイドバック

ネルシーニョ体勢1年目の2015年は、3バックを敷いた事で開幕先発の座こそ奥井選手に譲るものの、4節にポジションを奪い返すとその後は不動の右ウィングバックに。2年目となる2016年はチームのフォーメーションも4バックに戻し、右サイドバックとして開幕戦から全試合フル出場を達成する。
サイドバックはチーム内でも走行距離やスプリント回数が多くなるポジションであり、また相手のサイドアタッカーと対峙する事になるのでどうしてもファールが増えるポジションでもある。
だからこそ、サイドバックとして全試合フル出場というのは、異例中の異例とも言える。
しかし、ネルシーニョ監督はJリーグの監督の中でも人一倍バランスを重視する監督で、対戦相手の研究を欠かさず相手のストロングポイントを消す事に長けた監督だ。
そんなネルシーニョ監督にとって、攻守に貢献でき、優れたバランス感覚を持つ高橋選手は絶対的な信頼をおける選手となっている。
それを証拠に、2016年のシーズンヴィッセル神戸で全試合フル出場はおろか、全試合出場を果たしたフィールドプレーヤーは高橋選手ただ1人だ。そして2017年も12節を消化した2017年5月20日現在、ヴィッセル神戸で全試合フル出場を果たしているフィールドプレーヤーは高橋選手だけである。
ネルシーニョ監督が惚れ込むそのプレーは、現在のJリーグで最も安定感のある右サイドバックといえるだろう。