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セレッソ大阪の10番を背負ってきた名選手5人

2016 8/13 15:01
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世界的スーパースター、ディエゴ・フォルラン

近年セレッソ大阪の10番で最も印象に残っているのは、南アフリカワールドカップ得点王で、ウルグアイ代表でも10番を背負った世界的ストライカー、ディエゴ・フォルランだろう。残念ながら、チームの迷走により、その能力を全て発揮出来たわけではなかったが、ストライカーとしての魅力は見せてくれた。

キックの精度やシュート力も魅力だったが、特に印象的かつ絶品だったのが、シュートを打つためのスペースと時間を作る動きだ。味方はゴールを目指し敵はゴールを守ろうと試合全体のベクトルが相手ゴール方向へ向かうなか、フォルランは1人その場に止まったりバックステップで後ろに下がったりして自分の周りにスペースを作るのだ。

セレッソ史上最高のゲームメーカー、マルチネス

チームへの貢献度では歴代No1と言えるかもしれないのが、09~11年に10番を背負ったマルチネスだ。当時のC大阪は、後に世界の舞台で活躍するアタッカー、香川真司と乾貴士を前線に擁していたが、攻撃のタクトを振っていたのはその後ろにいるマルチネスだった。

マルチネスのプレーで印象的だったのは、とにかくボールを奪われない事。低い位置でフリーになるのも上手く、そこから精度の高い左足で長いパスを通してきた。2010年に若手の丸橋が左サイドバックに抜擢されると、マイボールになると丸橋を高い位置に出し、自分は最初に丸橋のいた左サイドバックのスペースに下がるというコンビネーションを作り上げ、躍進。そして、J1昇格シーズンにACL出場権獲得という偉業を果たした。

森島と最強のコンビを組んだ西澤明訓

C大阪で10番を背負った日本人選手は過去に4人いる。日本人で最初に10番を背負ったのは西澤明訓だ。海外から帰国して暫くは20番だったが、1998年から10番となった。

小さくてすばしっこい森島と身長が高くスケールが大きなプレーをする西澤の相性は抜群で、他の選手ならヘディングしそうな高いボールもふわりと浮き上がるジャンプから胸でトラップし、全速力で追い越していく森島へのパスや、森島からの折り返しが少々ズレたとしても強引に決める西澤のアクロバチックなボレーシュートなど、息を飲むようなシーンを数多く見せてくれた。

後にこのコンビがブレイクし、日本代表でも同じセットが組まれることとなった。

ヤンチャ小僧、大久保嘉人

日韓ワールドカップが行われた2002年、C大阪はJ2で戦っていた。日本代表のスケジュールとJ2はリンクしておらず、リーグ戦では中心選手の森島と西澤を欠く試合も多くあった。

そこでブレイクしたのが、現在川崎フロンターレでJリーグ歴代最高得点を更新し続けている大久保嘉人だ。当時プロ2年目の大久保の活躍により、J1へ復帰。そして翌2003年、C大阪の新しいエースとなった大久保は背番号10番を背負った。

2003年は得点ランキングで日本人最多となる16点を記録。そしてアジア最高の若手選手としてアジア年間最優秀ユース選手賞も獲得、さらにフル代表デビューも果たし、日本中に大久保の存在を知らしめるシーズンとなった。

現在10番を背負う、ブルーノ・メネゲウ

J1復帰を目指して戦っている今シーズン、10番をつけているのは中国の大連から新加入したブラジル出身のブルーノ・メネゲウだ。

左サイドハーフに入り、サイズはないがテクニックと馬力を兼ね備えたドリブルでボールを運び、時には最終ラインの裏への飛び出しも見せる多彩なプレーでチームの攻撃を活性化。また、セットプレーのキッカーも務めており、開幕戦ではコーナーキックから決勝ゴールをアシストするなど、シュートだけでなくラストパスを出せる選手でもある。