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U-20日本代表のエースストライカー、ジュビロ磐田小川航基

2017 6/30 12:56Aki
サッカーボール
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不動のエースストライカー

AFC U-19選手権2016で初優勝を達成し、5大会ぶりにFIFAU-20ワールドカップへの出場を果たすU-20日本代表。このチームは攻撃陣がタレント揃いとなっている。
代表的な選手としてはガンバ大阪でブレイクの兆しを見せる堂安律選手や、プロ入りする際には6クラブによる争奪戦の末、地元のクラブである京都サンガに加入した岩崎悠人選手、川崎フロンターレの至宝三好康児選手、さらにFCバルセロナの下部組織でプレーし、わずか15歳にしてU-20日本代表入りを果たした久保建英選手など、いずれも将来が楽しみな選手ばかりだ。
2020年に迎える東京オリンピックで中心となる世代である彼らには、多くの期待が集まっている。 しかし、この世代のエースはここまで名を挙げた誰でもない。この世代のエースストライカーはU-20日本代表でも9番を背負う、ジュビロ磐田の小川航基選手である。
堂安選手も岩崎選手も、三好選手も久保選手も、前線の中央で小川選手がどっしりと構えているので、さらなる輝きを見せる事ができるのだ。

高校2年生でU-18日本代表に初選出

小川選手が初めて注目を集めたのは2015年の1月、高校2年生の時だった。本人曰く「地元では少し有名ぐらい」の選手だった小川選手は、高校入学にあたっていくつか練習に参加するが、オファーを受けたのは桐光学園1校のみだった。もし桐光学園がダメなら普通に楽しくサッカーをしようと考えていた。
しかし、桐光学園の鈴木勝大監督は小川選手の想像以上にその能力を高く評価おり、それまでトップ下でプレーしていたが、高校入学と同時にフォワードに転向させる事にした。入学以降はストライカーとしてのプレーを徹底的に叩き込んだ。
徐々に小川選手はストライカーとして評価を高めていき、2015年の1月にU-18日本代表のロシア遠征のメンバーに選出されることになる。そのロシア遠征でゴールを量産し、国体メンバーの選考会にも呼ばれたことが無い選手が一気に注目を集める事になった。
当時、鈴木監督が特に徹底したのはストライカーとしてのメンタルの部分である。当時は足元でボールを欲しがり、動き出しは少ない、ストライカーとしてのプレーはまだまだ荒削りな原石そのものでしかなかったが、少し動けばパスが出てくるという回りの高いレベルに引っ張られるようにして、メキメキとストライカーとしての実力を高めていった。

スピードとサイズを兼ね備えたストライカー

小川選手の特徴は恵まれた体格と、大柄にもかかわらずスピードがあり高い便乗性を兼ね備えている所であり、桐光学園の鈴木監督もこの恵まれた素材に惚れ込んだのだ。
高校選手権では2度目の出場となた高校3年生で2試合連続2ゴールを記録するも、3回戦でPK戦に持ち込まれ、そのPK戦で小川選手自身が失敗し敗退に終わった。
しかしこの時点で、高校ナンバーワンストライカー、代表チームでも世代のエースストライカーとなっていた小川選手はジュビロ磐田、清水エスパルス、アルビレックス新潟と3クラブからのオファーを受け、その中からジュビロ磐田入団を決断した。
ジュビロ磐田も年代別日本代表不動のエースである小川選手に対して、2014年までジュビロ磐田のエースだった前田遼一選手が背負っていた背番号18を用意するなど、高待遇で迎え入れたのだ。 この世代のエースとして華々しいスタートを切るかに思われた。

公式戦でプレーする機会が無かった2016年

世代別代表のエースストライカーとしてジュビロ磐田に加入し、シーズン開幕前の2月に行われたスカパーニューイヤーカップで途中出場を果たすと、決勝点となるゴールを記録。ジュビロ磐田の名波浩監督からも開幕戦ベンチ入りの可能性もあると高い評価を受け、小川選手のプロ1年目、2016年は始まった。
しかしこのシーズンで、小川選手が出場したのはヤマザキナビスコカップ(当時)の途中出場2試合と、天皇杯での途中出場1試合のみ。
AFC U-19選手権2016で活躍するなど、U-19日本代表の活動でクラブを離れる機会が多かった事もあるが、ジュビロ磐田ではほとんど何も残す事ができなかった。何も残す事ができなかったというよりも、まず試合に出場すること自体がほぼ無かった。
これは、名波監督が小川選手のポテンシャルを高く評価しているからこその決断だった。
小川選手はサイズとスピード、アジリティを兼ね備え、素材としては非常に優れている。U-19日本代表でもそれを活かして活躍を見せているが、小川選手は悪く言えばこれまでそれだけでしかプレーしていなかった。具体的にいえば、小川選手はゴールを奪う事だけを考え、常にゴールを狙えるポジションで味方からのパスを要求する事だけしかしていなかった。
現段階ではそれでもある程度のプレーはできるかも知れない。しかし名波監督は、それだけだとプロの世界ではすぐに活躍できなくなる可能性が高いと判断したのである。

ガマンした名波監督とガマンした小川選手

名波監督が小川選手に要求したのは、ボールを受ける前のプレー、ゴールを狙うポジションに入る前のプレーの質を高める事である。
常にゴールを狙うポジションで待ち続けるだけだと、年代別という限られた世界では通用してもプロの世界では必ず潰される。なので、ゴールを狙うポジションにいつ入るのか、自分が狙ったタイミングで入るには、その前に何をしなければいけないのかを徹底して叩き込む事を決断した。
名波監督の要求に対し、小川選手は戸惑いを見せていた事は間違いない。その結果が2016年のわずか途中出場3試合に終わった公式戦の出場記録なのだろう。
小川選手がボールを受ける前のプレーの重要性を理解できるまで、名波監督はガマン強く待ち続けた。そして小川選手も名波監督の言う事を理解するため試行錯誤を繰り返した。
迎えた2017年、3月15日のルヴァンカップ札幌戦でプロ入り初先発を果たした小川選手は、リーグ戦でもコンスタントに出場機会を得るようになる。そこで昨シーズンまでに比べると大きく進歩したプレーを見せる様になった。
小川選手のボールを受ける前のプレーは良くなっているとはいえ、まだまだ進化の途中。
元々の素材の素晴らしさは間違い無く、高校時代に叩き込まれたストライカーとしてのメンタルも持っている。何よりシュートの技術も高い。プレーの幅が広がれば、間違いなく日本を代表するストライカーとなれる存在である。
FIFAU-20ワールドカップで同年代の世界レベルを知ることで、さらなる成長が見られる可能性は十分にあるのだ。