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帰ってきた甲府の至宝、ヴァンフォーレ甲府 堀米勇輝

2017 6/28 18:44Aki
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甲府の至宝

堀米勇輝選手はヴァンフォーレ甲府にとって特別な選手の1人だ。そして今後はさらにクラブを象徴する大きな存在へとなり得る大切な選手だ。 というのも、堀米選手は地元山梨県甲府市出身で、中学生のときよりヴァンフォーレ甲府U-15でプレーしてきた下部組織出身の選手だからだ。
さらに2007年にU-15日本代表に選出されて以来、宇佐美貴史選手や杉本健勇選手、柴崎岳選手らのプラチナ世代と呼ばれた年代別代表で主力選手であり続け、2009年のFIFAU-17ワールドカップナイジェリア大会でも全試合に先発出場と、この世代を代表する選手の1人だったからだ。

今でこそヴァンフォーレ甲府の下部組織に所属する選手にも注目が集まるようになったが、当時は世代別代表に選ばれる選手もほとんどいない頃だった。
高校卒業を待たずにトップチームとプロ契約した堀米選手は、まさにヴァンフォーレ甲府にとって初めてと言って良いほどの、下部組織出身で将来を有望視される選手だったのだ。 そんな堀米選手が京都サンガでの1年を経て2017シーズン再びヴァンフォーレ甲府に復帰することになった。 吉田達磨監督の下でポジションを確保し、甲府サポーターの誰もが待ち望んだ堀米選手がトップチームで躍動する素晴らしいプレー姿を見ることができている。

徐々に出場機会を減らす事に

甲府の至宝としてサポーターの期待を大きく集めた堀米選手は、プロ2年目の2011年にはJ1での開幕戦に途中出場しプロデビューを果たしている。そして、J2で戦う事となった2012年には開幕スタメンを掴む。シーズン序盤は現サンフレッチェ広島の柏好文選手と堀米選手は大卒選手と下部組織出身という違いはあるものの、ドリブル突破を得意とするアタッカーとして大きな期待を集める存在だった。

だが、2012年の途中から出場機会を減らすこととなる。
そうなった要因は、当時ヴァンフォーレ甲府の監督だった城福浩氏が守備的な戦術を採用し始めた事だった。2012年に城福氏が甲府の監督に就任した当初は、FC東京監督時代にも提唱した攻撃的なサッカーを志向しており、アタッカーだった堀米選手も出場機会を掴んでいた。

しかしチームにとって最も大切な勝ち点を積み上げる事ができない状態が続き、城福監督は堅守速攻を中心とした現実路線に方向転換する。 この方向転換に大卒3年目の柏選手は見事に対応してみせた。柏選手はウィングバックという新しいポジションを自分のものとするが、まだ10代で線の細い堀米選手はフィジカル的な要素が求められる戦い方にフィットできず、出場機会を大きく減らす事となったのだ。
2012年シーズンは途中で変えた堅守速攻のスタイルがクラブにフィットし、逆転優勝を達成。ヴァンフォーレ甲府はJ1に昇格する。 結果、2013年以降もそのスタイルは継続される事となった。城福監督の戦い方はクラブにとって最も大切な事である「J1に残留し続ける事」を実現した重要な要因の1つだが、堀米選手にとっては自分の良さを発揮しにくい難しいスタイルでもあった。

才能の開花と石丸監督との出会い

なかなかプレー機会をつかめない堀米選手に対してクラブは期限付き移籍を用意する。2013年シーズン途中からはロアッソ熊本、そして2014年シーズンは1年を通じて愛媛FCでプレーする事となった。

この2クラブで出場機会を得た堀米選手は躍動する。特に愛媛FCでプレーした2014年にはシャドーストライカーのポジションで大活躍を見せた。
ボールを持って切れ味鋭く果敢に仕掛けていくドリブルは、2011年に同じく愛媛FCでブレイクし、その後日本代表にも選ばれるようになった現横浜F・マリノスの齋藤学選手にも例えられるほど。この時の愛媛FCを率いていたのが後に京都サンガの監督となる石丸清隆監督だった。
ヴァンフォーレ甲府と愛媛FCではチームの置かれている立場が違うので当然なのだが、愛媛FCでは堀米選手の特徴であるドリブルやパスなどを活かしやすいチームづくりとなっていたため、その能力がプロの舞台でもついに開花したと思わせるシーズンだった。

ヴァンフォーレ甲府からの移籍

2015年は城福監督が退任した事もあり、クラブは愛媛FCでブレイクした堀米選手を呼び戻す事を決断する。しかし新監督として迎えられた樋口靖洋氏が取り入れようとした戦術は全く浸透せずに開幕から低迷。獲得した外国人選手もほとんど機能しなかった事で5月に監督を交代せざるを得ない状況となった。
そしてこの監督交代により、戦い方をその前年までの堅守速攻スタイルに戻した為、やはり堀米選手は出場期間を減らすことになった。

翌2016年シーズン開幕を前にした2015年12月24日、堀米選手は大きな決断をする。
その内容は京都サンガへの完全移籍。京都サンガに愛媛FCでの恩師である石丸監督が就任し、石丸監督が堀米選手の獲得を熱望した事に応えたのだ。
そしてこれは、これまでの様なヴァンフォーレ甲府に籍を残した期限付き移籍ではなく完全移籍だった。 ヴァンフォーレ甲府は契約延長のオファーを出しており、堀米選手にとってもヴァンフォーレ甲府は子供の頃からサポーターだったチームだ。しかし世代別代表で共にプレーした宇佐美選手や杉本選手、柴崎選手がそれぞれのチームで活躍する中、チームで主力になりきれないという状況がこの大きな決断を下す事となった。

ヴァンフォーレ甲府への復帰を決断

京都サンガでの堀米選手は、ドリブル突破だけでなくパスでもチャンスをつくる事ができる、さらに高精度の左足も持っている対戦相手にとって最も危険な選手の1人として活躍する。
2015年J2で17位に落ち込んだ京都サンガを、その1年後にはプレーオフ圏内の5位にまで上げた立役者の1人と言っても良いだろう。堀米選手のプレーは愛媛で見せた2014年以上に素晴らしいものだった。

しかしJ1昇格プレーオフではセレッソ大阪の前に涙を飲むことになる。さらに京都サンガは契約期間は来シーズン末まで残しながらも石丸監督の解任を発表する。 堀米選手にとってはこの解任が大きな要因となったのかもしれない。このタイミングで古巣であるヴァンフォーレ甲府は堀米選手に復帰のオファー、堀米選手本人も復帰を決断する。 今回の復帰がこれまでと異なるのは、今シーズンからヴァンフォーレ甲府の監督に就任した吉田達磨氏本人が堀米選手の獲得を熱望しているという点だ。

これまでの良くも悪くも城福氏が作り上げたサッカーから一歩進むには、堀米選手の様なプレーヤーが必要だと考えたのだろう。 そしてシーズン序盤はその思惑通り中心選手として活躍を見せる堀米選手。 このままシーズンを通じて活躍を見せ、さらにチームのJ1残留を達成した時、堀米選手はヴァンフォーレ甲府にとってさらに特別な選手となる事だろう。