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FC東京の歴代監督がチームに残したモノ

2016 7/31 18:20
サッカーボールⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

どこの国でも、首都のサッカーチームは強いのだが、日本だけその傾向が弱いのが事実。そんな中、FC東京の監督はどのようにして状況を打開してきたか知っておきたい。今回はそんなFC東京の監督がもたらしたものについて紹介する。

声の大きさは天下一品 大熊清

1995年からFC東京の監督として長く活躍したのが大熊清だ。4バックを基本としたスタンダードなサッカーながら、着実に実績を残してきて初めてJ1の舞台に押し上げたのだ。
初のJ1となった1999年は、とにかく守備を強固にしたカウンターサッカーを展開していく。相手選手からは古臭いサッカーと揶揄されながらも、しっかりと結果を残してきて今のFC東京の流れを作り出す。選手に指示する声がスタンドまでよく届き、一部ファンからは「大声の大熊清」で有名だった。

一転して魅力的なサッカーを展開!原博実

浦和レッズの監督としての実績を引っさげて、2002年に監督に就任したのが原博実だ。大熊清の時代に築き上げたカウンターサッカーからの転換を期待されての監督就任だったが、見事に期待に答えて攻撃なサッカーを展開する。
石川直宏と加地亮という攻撃的なサイドアタッカーから繰り出すサッカーは迫力満点で、2004年にはチーム初のタイトルとなるナビスコカップ制覇を成し遂げる。魅力的なサッカーを展開しながら、結果も残しただけにその人気は絶大なものがあった。 一度退任して2007年に再就任するが、残念ながら1年で辞任してしまう。

何度も監督に就任 城福浩

ずっとFC東京の育成を統括してきた城福浩は、アンダー世代の代表監督を務めるなど手腕は高く評価されていた。そんな中で、2008年に満を持してFC東京の監督に就任する。原博実の系統を受け継ぐ攻撃的サッカーを展開して、特に縦に早いサッカーは相手チームから脅威の的となった。
Jリーグの優勝争いの常連になるなど、しっかりと実績を残してきていたが、2010年には成績不振を理由に解任されてる。ただ、能力は高く評価されており2016年には再度FC東京の監督に就任する。

実績を残したが評価されず...…フィッカデンティ

史上初のイタリア人監督として2004年に就任したのが、フィッカデンティだ。イタリア人らしく、手堅い守備的なサッカーはどこか大熊清時代を彷彿とさせるものがあった。全員守備・全員攻撃を信条として、派手な結果は残さないものの着実にチーム力がアップする。
また同時に、若手選手の育成にも長けた監督だった。選手からの信頼が厚く、これからもっと発展していくであろうと見られていた中で、2015年シーズンを持って退任することがアナウンスされた。現在はサガン鳥栖の監督に就任しているが、個人的にはもっと長期的なスパンでチームを作り上げて欲しかった監督である。

まとめ

FC東京の監督の特徴として、守備的サッカーか攻撃的サッカーかの両極端である。わざとこのように監督人事をしているのだろうが、もっと長期的なビジョンでチーム作りしてほしいなと感じる。ただ、首都のチームとしてこれからもファンを魅了してくれるのは間違いないだろう。