「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

アビスパ福岡の10番を背負ってきた名選手5人

2016 7/31 18:20
アビスパ福岡
このエントリーをはてなブックマークに追加

1996年のJ1参入以来、J1とJ2を行き来することが多いアビスパ福岡だが、その歴史はどのようなものだっただろうか。今回は、アビスパ福岡の歴代背番号10番の選手を紹介する。

アビスパ福岡に10番を定着させた男!中払大介

クラブ創設期の1996年から2001年までアビスパ福岡に所属していた中払大介。初期は別の背番号でプレーしていたが、1999年から背番号10番を背負う。創設期のアビスパ福岡は下位に落ち込み、何度も降格の危機に陥ったが中払大介はチームの中心として貢献したため、未だに古いサポーターからの人気は高いだ。2001年シーズン後に京都サガンFCに移籍したが、2008年に7年ぶりにアビスパ福岡に復帰し、2009年シーズン後に引退している。

初の韓国代表Jリーガーも背番号10番を!盧廷潤

現在では数多くの韓国代表プレイヤーがJリーグで活躍しているが、その先駆けとなったのが盧廷潤だ。高麗大学校に所属していた頃から韓国代表に選ばれていた盧廷潤は、1993年にサンフレッチェ広島に入団する。現役中は日本、韓国、オランダの3カ国でプレーしたが、アビスパ福岡には2001年から2シーズン所属した。アグレッシブなプレースタイルを誇る一方、性格は非常に紳士的で、日本のサポーターの間でも根強い人気があった。

背番号10番だけでなく選手会長も務めたチームの中心!山形恭平

高校時代にインターハイ、全日本ユース選手権、高校選手権の三冠を達成した山根恭平も、アビスパ福岡で10番を背負った。最初に所属したサンフレッチェ広島では結果を残せなかったが、2004年からアビスパ福岡に加入するとその才能を開花させ、チームの主力へ成長する。所属した4シーズンのうち10番をつけたのは1シーズンだけだが、チームのJ1昇格へ貢献するなど中心選手となって活躍した。アビスパ福岡でチームメイトだった山形辰徳は実弟で、兄弟で同じチームでプレーした。

アビスパ福岡のユーティリティプレイヤー!久藤清一

複数ポジションで活躍した久藤清一は、アビスパ福岡でプレーした6シーズンのうち2シーズンで10番を背負った。1998年にアビスパ福岡で最初のシーズンを迎え、その後移籍。5シーズンぶりにJ1に昇格した2006年にアビスパ福岡に復帰し、中心選手となってプレーするがチームは残念ながらJ2に降格する。その後、2010年までアビスパ福岡でプレーするが、J1復帰を見ることなく引退した。低迷期を支えた選手としてサポーターの記憶に残る選手だ。現在はロアッソ熊本のトップコーチだが、いつかアビスパ福岡に帰って来てほしい。

現10番はアビスパ福岡のキング!城後寿

アビスパ福岡サポーターがキングと呼ぶ男が城後寿だ。国見高校時代からスタープレイヤーだった城後寿は、多くの強豪チームから誘われるが、地元アビスパ福岡を選んで入団する。入団後も順当に頭角を現し、チームの中心となって活躍する城後寿は、何度も他のチームから誘われるが、アビスパ福岡愛を貫き続けている。チームからもサポーターからも愛される城後寿こそ、まさにアビスパ福岡最高の10番だろう。城後寿の活躍次第では、4シーズンぶりのJ1復帰となったアビスパ福岡の大躍進が期待できる。

まとめ

アビスパ福岡はJ1・J2を行き来することが多く、それだけに多くの選手が10番を背負ってきた。現10番の城後寿の登場以来、10番は彼のものだが、城後寿の次に10番を背負えるような名選手が出てくることが、そろそろ期待される。