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平成5年 W杯初出場目前で「ドーハの悲劇」【平成スポーツハイライト】

2018 12/24 07:00SPAIA編集部
サッカー,ⒸShutterstock.com
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Jリーグ開幕し、空前のサッカーブーム

平成5年10月28日、日本サッカー界にとって悲願だったワールドカップ出場が目前に迫っていた。中東カタールの首都・ドーハで行われていたワールドカップ米国大会のアジア地区最終予選。勝てば初出場が決まる日本はイラクをリードしたまま、ロスタイムに入った。

この年5月にJリーグが開幕。三浦知良、ラモス瑠偉、中山雅史らスター選手が誕生し、日本は空前のサッカーブームだった。昭和43年のメキシコ五輪で釜本邦茂が得点王になったことはあったものの、これまで何度もはね返されてきたワールドカップ出場の夢。このメンバーなら…と期待を抱かせたオフトジャパンは、順調に勝ち進んでいた。

1次予選のグループFは7勝1分けで首位通過。A~F組を1位通過した6カ国の総当たりで行われる最終予選も、第4戦でそれまでワールドカップと五輪のアジア予選で一度も勝てなかった韓国にカズのゴールで勝利し、首位に立った。

最下位の北朝鮮を除き、勝ち点1差でひしめき合う5カ国に出場のチャンスがある大混戦。日本は最終イラク戦に勝てば文句なしで出場決定、引き分けでも得失点差で出場できる可能性があった。日本-イラク戦のほか、サウジアラビア‐イラン戦、韓国-北朝鮮戦が同じ日の同じ時刻にキックオフとなった。

ロスタイムに悪夢の同点ゴール

迎えた運命の一戦。日本は前線にカズ、中山、長谷川健太が並ぶ4-3-3システムで臨んだ。

先制したのは日本。前半5分、長谷川のシュートのこぼれ球をカズが頭で押し込んだ。そのまま前半終了。他会場はサウジアラビア2-1イラン、韓国0-0北朝鮮という途中経過で、このままなら日本とサウジアラビアが出場権を得るという状況だった。

後半になると、攻勢を強めたイラクに一度は同点に追いつかれたが、後半24分に中山のゴールで2-1と勝ち越し。他会場ではサウジアラビアと韓国がリードを奪っていたため、日本は1点差を守り切る必要があった。そして、それは実現寸前に迫っていた。

夢のアメリカ大陸が見え始めた後半ロスタイム、コーナーキックのチャンスを得たイラクは意表を突くショートコーナーだった。カズが伸ばした足の先からゴール前にクロスが上がると、ニアポスト側にいたイラク選手がヘディングシュート。放物線を描いたボールは、反応できなかったGK松永成立の頭上を通過してゴールに吸い込まれた。 悪夢のような同点劇……。

ピッチ上の選手はへたり込み、途中交代してベンチから声援を送っていた中山はその場で倒れ込んだ。試合再開後、すぐに終了のホイッスルが鳴り、日本サッカー界の悲願は4年後まで持ち越された。

深夜帯に驚異的視聴率

時差の関係で日本では深夜帯の放送だったにもかかわらず、中継したテレビ東京の視聴率は同局史上最高の48.1%をマークした。痛恨のドローと引き換えに、サッカー人気やワールドカップ出場の夢はますます大きくなった。

ちなみ米国大会に出場したサウジアラビアはアジア勢として7大会ぶりのベスト16進出。優勝はロマーリオのいたブラジルだった。決勝でイタリアのバッジョがPKを外したシーンをご記憶の方も多いだろう。