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サッカー日本代表で背番号22を背負った歴代の名選手たち

2022 11/8 11:00SPAIA編集部
吉田麻也,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

背番号22を背負う意味とは

サッカーの背番号は、後ろのポジションから順に前線のポジションに近付くほど大きい番号となるのが一般的だ。ただし、20番台となると控え選手に与えられることが多く、一般的には特別な意味を持つ番号ではない。

裏を返せば、長く背負った選手ほどイメージがつきやすい。日本代表では中澤佑二や吉田麻也、海外では元ブラジル代表MFカカがACミラン時代に背負ったイメージが強い。歴代の日本代表で22番を背負った主な選手を紹介する。

平野孝

日本が初出場した1998年のフランスワールドカップで背番号22をつけたのが平野孝だった。

清水商から1993年に名古屋グランパスエイトに加入し、2000年シーズン中、望月重良とともに京都パープルサンガに移籍。その後、 ジュビロ磐田、ヴィッセル神戸、東京ヴェルディ、横浜F・マリノス、大宮アルディージャとわたり歩き、カナダのバンクーバー移籍後の2010年限りで引退した。

レフティとして日本代表でも活躍。J1通算352試合54得点、国際Aマッチ通算15試合4得点の成績を残した。引退後はヴィッセル神戸でスカウトなどを務めている。

中澤佑二

サッカー日本代表の歴史上で、背番号22のイメージが最も強いのは中澤佑二ではないだろうか。

1999年にヴェルディ川崎でJリーグデビューし、2002年に横浜F・マリノスに移籍。2018年を最後にユニフォームを脱ぐまで1シーズンを除いて22番を背負い続けた。「ボンバーヘッド」と呼ばれた個性的な髪形や闘志あふれるプレースタイルで人気を博し、J1通算593試合に出場した。

日本代表でも2000年のアジアカップで優勝に貢献し、2002年の日韓共催ワールドカップのメンバーには入れなかったものの、2006年ドイツワールドカップと2010年南アフリカワールドカップには背番号22で出場した。国際Aマッチ通算110試合に出場している。

プロになって初めてもらった背番号を背負い続けた中澤。初心を忘れず向上心を持ち続けた証が22番だったのかも知れない。

鈴木隆行

鈴木隆行も22番を背負った一人だ。1995年に鹿島アントラーズに加入し、ブラジルのCFZ・ド・リオ、ジェフユナイテッド市原、川崎フロンターレなどへレンタル移籍しながら経験を積んだ。

2001年、日本代表のフィリップ・トルシエ監督に初招集され、コンフェデレーションズカップのカメルーン戦で2得点。この時の背番号が22だった。

翌2002年の日韓共催ワールドカップには背番号11で出場し、初戦のベルギー戦で同点ゴールを決める活躍。髪を派手な色に染め、ゴール後に雄叫びを上げる姿から「銀狼」や「金狼」などと呼ばれた。国際Aマッチ通算55試合11得点をマークしている。

引退後は小学生を対象としたサッカースクールを運営するなどサッカー界の発展に貢献している。

吉田麻也

吉田麻也も日本代表の背番号22を長く背負っている。2007年シーズンに名古屋グランパスでJリーグデビューし、2010年からオランダのVVVフェンローへ移籍。2012年からイングランドのサウサンプトンへ移り、2020年からイタリアのサンプドリア、2022年からドイツのシャルケでプレーしている。

日本代表では2014年のブラジルワールドカップ、2018年のロシアワールドカップに22番を背負って出場。2022年カタール大会にも背番号22でメンバー入りしている。11月7日現在、歴代4位の国際Aマッチ通算121試合に出場しており、122試合で歴代3位の井原正巳を超えることは確実だ。

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