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サッカー日本代表で背番号21を背負った歴代の名選手たち

2022 11/6 11:00SPAIA編集部
加地亮,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

背番号21を背負う意味とは

サッカーの背番号は若い番号からレギュラー選手がつけていくため、20番台は基本的に控え選手や2番手のゴールキーパーが背負うことが多い。しかし、背番号21は世界的な名プレイヤーが背負うこともある。元イタリア代表MFアンドレア・ピルロはインテル、ACミラン、ユベントスなどで21番を背負い、ジネディーヌ・ジダンもユベントス時代は21番だった。

日本代表でも小野伸二、川島永嗣らそうそうたるメンバーが名を連ねている。歴代の日本代表で21番を背負った主な選手を紹介する。

岡野雅行

「野人」のニックネームで親しまれた岡野雅行も背番号21を背負った。俊足を活かしたプレースタイルと長髪をなびかせる姿がトレードマークだった。

岡野と聞いて思い浮かぶのは「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる1997年11月のワールドカップフランス大会アジア第3代表決定戦だろう。イランとの死闘に蹴りをつける決勝ゴールを決め、日本サッカー界悲願のワールドカップ初出場をもたらした。その時の背番号は14だった。

翌1998年の本大会にも背番号14で出場。1999年に出場したコパ・アメリカで21番を背負った。国際Aマッチ通算25試合で2得点を挙げている。

松江日大高(現立正大淞南高)から日大を中退して1994年に浦和に加入。J1通算301試合に出場した人気選手だった。引退後はJ3ガイナーレ鳥取のGMを務めている。

小野伸二

小学校時代から「天才」と呼ばれた小野伸二も21番を背負った一人だ。清水商から浦和レッズ入りし、18歳でフランスワールドカップに出場。その時は背番号11だった。

2001年にコンフェデレーションズカップに出場し、背番号21をつけて日本の準優勝に貢献。その直後にオランダのフェイエノールトに移籍し、翌2002年の日韓共催ワールドカップと2006年のドイツワールドカップでは背番号18で出場した。

日本代表では国際Aマッチ56試合6得点。43歳の今も現役を続けており、北海道コンサドーレ札幌では背番号44をつけている。

加地亮

サッカー日本代表の背番号21を長くつけていたのが加地亮だ。加地は滝川二高からセレッソ大阪に加入し、大分トリニータ、FC東京を経て2006にガンバ大阪に移籍した。クラブでも21番を背負い、J1通算300試合に出場している。

日本代表では2006年のワールドカップドイツ大会に背番号21で出場。国際Aマッチ64試合2得点の成績を残した。

「21」への思い入れが強く、入籍日も21日にした加地は現在、大阪府箕面市で「CAZI CAFE」を経営している。

酒井高徳

アメリカ・ニューヨークで日本人の父親とドイツ人の母親の間に生まれた酒井高徳は、2008年にアルビレックス新潟ユースからトップチーム昇格。強いフィジカルと旺盛なスタミナでポジションをつかみ、2001年からはドイツのシュトゥットガルトとハンブルガーSVでプレーした。2019年からヴィッセル神戸に所属している。

日本代表では2014年のブラジルワールドカップのメンバー入りしたが出場なし。2018年のロシアワールドカップには背番号21を背負って初めてピッチに立った。国際Aマッチ通算42試合に出場している。

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