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サッカー日本代表で背番号20を背負った歴代の名選手たち

2022 11/3 11:00SPAIA編集部
槙野智章,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

背番号20を背負う意味とは

サッカーの背番号20は特定のポジションのイメージはないものの、比較的フォワードの選手がつけることが多い。中には、ここぞの場面で投入される「秘密兵器」といったイメージもあるかも知れない。1982年のスペインワールドカップで得点王に輝き、イタリアを優勝に導いたパオロ・ロッシがつけていた背番号でもある。

日本代表では必ずしもフォワードがつけているわけではない。とはいえ、背負ってきた選手を見ると、「控え」「サブ」といった言葉は当てはまらないかも知れない。日本代表で20番を背負ってきた主な選手を紹介する。

川口能活

長年、日本のゴールマウスを守ってきた川口能活に背番号20のイメージはないかも知れないが、日本が初めて出場した1998年のフランスワールドカップでは背番号20だった。

清水商時代に選手権で優勝し、1994年に横浜マリノス加入。1996年のアトランタ五輪では「マイアミの奇跡」と呼ばれたブラジル戦の大金星に貢献した。フランスワールドカップで背番号1をつけたのは小島伸幸だったが、川口が全3試合に出場している。

その後も2002年の日韓共催大会、2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会と4度のワールドカップメンバーに選ばれ、国際Aマッチ通算116試合に出場した。

SC相模原移籍後の2018年を最後にユニフォームを脱いだ。引退後はU-19日本代表GKコーチを務めるなど、日本サッカー界の発展に貢献している。

大久保嘉人

大久保嘉人も歴代の背番号20に名を連ねている。国見高のエースストライカーとして高校3冠を達成し、2001年にセレッソ大阪に加入。川崎フロンターレ時代に3年連続得点王に輝くなど、歴代最多のJ1通算191ゴールを挙げた。

日本代表では2003年の東アジア選手権に背番号20で出場。2010年の南アフリカワールドカップには背番号16、2014年のブラジルワールドカップには背番号13で出場した。国際Aマッチ通算60試合6得点の成績を残している。

古巣・セレッソ大阪に復帰した2021年に現役を引退。現在はスポーツ番組のコメンテーターなど活動の幅を広げている。

稲本潤一

2002年の日韓共催ワールドカップで躍動した時の稲本潤一は背番号5だったが、最後に出場した2010年の南アフリカワールドカップでは背番号20だった。

1997年、ガンバ大阪の下部組織からトップチームに昇格し、当時最年少の17歳6カ月でJリーグ初出場。2001年にはプレミアリーグのアーセナルに移籍するなど、一気にスターダムを駆け上がった。2006年のドイツワールドカップには背番号17で出場。国際Aマッチ通算82試合に出場し、5得点を挙げている。

その後も多くのクラブをわたり歩き、43歳の現在も南葛SCで現役を続けている。息の長い活躍は節制とトレーニングの賜物だろう。

槙野智章

槙野智章も20番を背負った一人だ。2006年、サンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格し、ドイツのケルンを経て浦和レッズで10年間プレー。2022年にヴィッセル神戸へ移籍した。

日本代表では2018年のワールドカップロシア大会に背番号20で出場。ベスト16入りに貢献した。国際Aマッチ通算38試合に出場している。

“ファイター”と呼ばれるほどの闘争心で、1対1での強さは高く評価されている。ディフェンダーながら時には得点にも絡み、フォワードの役割も果たす「DFW」と呼ばれることもある。

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