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サッカー日本代表で背番号6を背負った歴代の名選手、背番号6の意味は?

2022 10/20 06:00SPAIA編集部
内田篤人,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

背番号6の意味とは

サッカーの背番号は主にゴールキーパーから順につけられていく。背番号が導入された20世紀初頭、当時主流だった2-3-5のフォーメーションでGKの1番から順に右バック2番、左バック3番、右ハーフ4番と割り振り、左ウイングの11番まで定めていた。

その名残で今も1~11番はレギュラー番号となっており、元々左ハーフの番号だった6番は、現代サッカーではサイドバックなどDFが背負うことが多い。

服部年宏

服部年宏は1994年から2006年までジュビロ磐田でプレーした。豊富な運動量を誇り、守備だけでなく攻撃にも積極的に参加。1996年のアトランタ五輪で活躍し、日本代表としては1996年から2003年にかけて国際Aマッチ通算44試合に出場した。

ワールドカップは1998年のフランス大会と2002年の日韓大会に出場。ジーコ監督が就任してからも左サイドバックとして起用されたが、世代交代の波にのまれ、代表から外れた。現在はJ3福島ユナイテッドFCの監督を務めている。

中田浩二

日本代表で重用された中田浩二も背番号6を背負っていた。ボランチやセンターバック、サイドバックなど守備的ポジションで長らく世界の猛者と戦い続けた。

フィリップ・トルシエ監督に高評価され、2000年2月のメキシコ戦でA代表デビューすると、2002年の日韓ワールドカップでベスト16入りに貢献。ジーコ監督体制で臨んだ2006年のドイツワールドカップにも出場した。

クラブでは鹿島からフランスのマルセイユ、スイスのバーゼルと移籍し、2008年に鹿島に復帰。古巣復帰後は2014年に引退するまで背番号6を背負い続けた。

内田篤人

内田隼人は清水東高から2006年に鹿島に加入し、2010年7月に移籍したドイツのシャルケで8年間プレーした。その後ウニオン・ベルリンを経て鹿島に復帰し、2020年に引退。クラブでは背番号2をつけることが多かった。

日本代表では2008年1月のチリ戦でデビュー。2010年の南アフリカワールドカップ代表メンバーに選出され、2014年のブラジルワールドカップにはフル出場した。国際Aマッチ通算74試合に出場している。

現在はテレビ朝日「報道ステーション」のスポーツコーナーなどでも活躍しており、気心の知れた日本代表メンバーへのインタビューが好評を博している。

森重真人・遠藤航

森重真人は広島皆実高から大分トリニータを経てFC東京でプレー。2013年から日本代表に召集され、2014年ブラジルワールドカップに出場した。国際Aマッチ41試合に出場している。

そして2018年のロシアワールドカップで背番号6をつけたのが遠藤航だ。2010年に湘南ベルマーレでJリーグデビューし、浦和レッズを経て、2018年にベルギーのシント=トロイデンに移籍。現在はドイツのシュツットガルトでプレーしている。

2022年カタールワールドカップ、日本は11月23日にドイツとの初戦に臨む。背番号6をつけてピッチに立つのは遠藤か、それとも…。

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