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【立ち上がる貴公子】神の子と呼ばれた男、フェルナンド・トーレス

2017 9/13 14:03dai06
フェルナンド・トーレス選手
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必然的で天才的!フェルナンド・トーレスとアトレティコ・マドリード

フェルナンド・トーレス選手(以下、敬称略)は、1984年3月20日生まれのスペイン人FWで、生まれはマドリードだ。

5歳の頃から小さなチームでボールを蹴っていた彼は、アトレティコ・マドリード(以下、アトレティコ)サポーターの祖父を持ち、彼の熱狂ぶりに影響される形で地元クラブでもあるアトレティコのサポーターとなった。

1995年、11歳の頃にはそのアトレティコのユースに加入し、天才的なポテンシャルを発揮すると、ユースのカテゴリーを次々と突破し、3年後には名門クラブのユースの選手たちが集まるナイキ主催の大会で優勝。商品としてスパイクを受け取り、30代を迎えた今でも同ブランドのスパイクを愛用し続けている。
トーレスはそのルックスの良さからも、企業としての広告塔として有名だ。ナイキの新スパイクが発売される際にも、トーレスが履いて広告に登場することがままある。

2001年には、アトレティコのトップチームにデビュー。2001-02シーズンは36試合で6得点だったものの、アトレティコはリーガの1部に昇格。2002-03シーズンのトーレスは調子を上げ、29試合で13得点を記録。翌2003-04シーズンには1、19歳ながらキャプテンも務めて35試合19得点を記録。アトレティコを代表する選手として急成長した。

愛称は神の子を意味する「エル・ニーニョ」であり、彼は後の自伝にも『フェルナンド・トーレス 神に選ばれたストライカー(日本語版)』というタイトルをつけている。

ストライカー量産クラブのアトレティコ

2000年代に入ってからのアトレティコは、有望なストライカーがよく育っている。
トーレスはその筆頭だが、他にも2006年にやってきたセルヒオ・アグエロ選手、2007年のディエゴ・フォルラン選手、2011年のラダメル・ファルカオ選手、2007年に加入し2010年からブレイクしたジエゴ・コスタ選手などがいる。

彼らはプレースタイルも様々だが、いずれも得点を積み上げることに関しては一流だった。貪欲にゴールを狙う姿勢は、リーガ・エスパニョーラの他クラブを脅かし続けてきた。

しかし、アトレティコがいくらストライカーに恵まれようとも、タイトルにはなかなか手が届かなかった。 それはいつの日も、ストライカーがブレイクする度に、他のクラブに奪われてしまうからだ。
2007年にはトーレス選手もその1人となる。彼を獲得したのはプレミアリーグのリヴァプールFC(以下、リヴァプール)だった。

リヴァプールでの日々とトーレスのプレースタイル

トーレスのプレミアリーグへの挑戦は、かなり良い環境下で進んだ。リヴァプールには同朋のシャビ・アロンソ選手やホセ・マヌエル・レイナ選手(以下、敬称略)が所属しており、コミュニケーションの面でサポートをしてもらっていたようだ。レイナの家とトーレスの家は50mほどの距離だった。

加入1年目の2007-08シーズンには全大会を通して29得点を記録。CL準決勝への進出ではチェルシーFC(以下、チェルシー)に敗れるも、リーグでもCLでも活躍した。

トーレスのプレースタイルは、繊細さとダイナミックさを併せ持つ独特のスタイルだ。身長185㎝と大柄ながら細かなドリブルスキルに長け、相手選手と対峙した際にボールをキュッと止めたり、別方向に身体を入れ替えるスピードが速い。
時には思い切りボールを蹴り出し、フィジカルで相手をいなしつつボールを前線へと運ぶことができる。「裏街道」と呼ばれるような抜き方も得意だ。
そうしてゴール前へ躍り出ると、力強く打ち込むよりも角度をつけたコントロールシュートを得意とする。ボールは美しい放物線を描きながら、ゴールへ沈んでいく。

リヴァプール時代にはこの力を磨くとともに、ポストプレーや空中戦も得意になった。フィジカルコンタクトの激しいプレミアリーグでは、体格の良さは重宝される。身長もあり、足元の技術もあるトーレスは難なくプレミアリーグに順応した。

苦しくも愛されたチェルシーでの日々

2011年の冬には、チェルシーに移籍。その際の移籍金の額は日本円で約65億円で、当時のスペイン人選手史上最も高額の移籍となる。

しかし、トーレスはリヴァプール時代のように得点を量産することができなくなる。身体の運びはどこか重く、シュートを放っても上手くコースに飛ばない日々が続いた。最初の得点までには試合10試合分にあたる約900分を要した。

切り替わって2011-12シーズンは、リーグ戦での得点には恵まれなかったが、CLやクラブワールドカップ、スペイン代表として挑んだEUROなどで得点。CLの準決勝ではバルセロナを突き放すゴールを決め、後の決勝戦バイエルン戦でもPKを誘う活躍をみせた。
そうしてトーレスは大舞台での力強さを発揮するようになり、ポストプレーなどで味方を活かす力にも一層長けるようになった。

ただ、得点力を欲したチェルシーは、トーレスを放出することにした。サポーターに惜しまれつつ去っていったトーレスは、ACミランや古巣アトレティコでのローンを経験する。
2015-16シーズンのアトレティコでは49試合で14得点を記録し、後に正式に古巣に復帰する。

トーレスの新しい日々が始まった。

愛し愛されてきたアトレティコ、帰ってきた我が家

2015年の冬、トーレスは幼き頃から愛し愛されてきたアトレティコに帰ってきた。サポーターは彼の復帰を歓迎し、トーレスもまた喜びの声を発した。
「子どもの頃から僕はアトレティコのファンなんだ。このクラブには特別な想いがあるんだ。他のクラブでプレーしたこともあったけど、アトレティコのようなクラブは他にはないんだ」。
トーレスはこれ以降、SNSではアトレティコへの愛情を度々語り、プレーでは前線からの献身的守備をいとわない選手となった。シメオネ監督体制になってからのアトレティコは、「チョリスモ」と呼ばれるハードワークをプレーの軸に置いている。ベテランのトーレスが前線から激しくプレスをかけることの意義は大きい。若手主体のアトレティコで模範となる選手だ。

アトレティコはトーレスが一番はじめに在籍していた頃とは変わったのだ。FCバルセロナやレアル・マドリードCFなど、2つのクラブの後を追うようなクラブではなくなった。当たり前のようにこの2クラブに対抗し、当たり前のように国内外のタイトルを狙えるまでに成長した。

不遇の日々があろうとも、トーレスの周りは常に愛情で満ちていた。サポーターからの愛情、チーメイトからの支え、そしてトーレス自身の彼らに対する愛情はとても大きい。

これからもトーレスは、誰かのために走り続けられる選手として存在するだろう。