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背番号7番の世界的傾向とJリーグ

2017 8/25 10:07Aki
サッカー 7番
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背番号7番のイメージ

背番号7番といえばどんな選手を思い浮かべるだろうか。ガンバ大阪だけでなく日本代表でも長きに渡って7番をつけてプレーしていた遠藤保仁選手が、近年では最も知られているところかもしれない。またジュビロ磐田では現在監督と務める名波浩氏が現役時代に背負っていた番号で、現在のジュビロ磐田では名波氏と同じ左利きのプレーメイカー上田康太選手が背負っている。
この様に遠藤選手や、名波氏の影響により守備的ミッドフィールダーの位置でゲームをつくる選手が背負うイメージもある背番号7番だが、これは世界的にみると非常に珍しいケースである。
背番号7番のプレーヤーとはどういう選手なのか。
サッカーの歴史から、現在のJリーガーまでを含めて考察してみよう。

7番というポジション

サッカーではポジションを番号で表す事がある。 これは1990年代ごろまで、◯◯選手の背番号は◯番という現在の固定番号制ではなく、その試合に先発する選手が1番から11番をつけるという変動番号制だったためだ。以前の背番号は選手を表すものではなく、ポジションを表すものだったのだ。
ただ、この方式の複雑なところは、それぞれの国や地域によって同じ番号でも違うポジションを指していた。
サッカーは長い歴史をかけてそれぞれの国や地域で進化してきたスポーツであったため、同じ4番でもヨーロッパでは守備的ミッドフィールダーのポジションを指す一方で、南米ではセンターバックやサイドバックを指す番号だった。
これはそれぞれの国で起こったフォーメーションの進化と密接な関係にある。
そんな中でも7番は、フィールドプレーヤーの番号としては珍しく、ヨーロッパでも南米でもほとんど同じポジションを指す番号となっている。そのポジションとは攻撃的な右サイド。
フォーメーションの多様化により少しずつのずれはあるが、7番は右ウイングや右サイドハーフ、2トップの右などいずれも右サイドの攻撃的な選手がつける番号となっている。

マンチェスターユナイテッドのエースナンバー

世界的に7番として最も有名なものは、「栄光の7番」とも呼ばれるマンチェスターユナイテッドのエースナンバーだろう。
この番号を最初に有名にしたのは、ジョージ・ベスト氏。変動番号制だった当時ジョージ・ベスト氏は11番を背負う事もあったが、右ウイングのポジションで見せる華麗なドリブルは世界中を虜にした。
その番号を大きくしたのは1993年から2009年に背番号7番を背負った3人の選手だった。
1993年にリーズ・ユナイテッドから加入したエリック・カントナ氏は背番号7を背負うストライカーとして大活躍。1997年カントナ氏が引退すると、その後を引き継いだのはデビッド・ベッカム氏。ベッカム氏はその容姿も人気を集める要因となったが、それ以上に献身的でありながら、当時世界最高の精度を誇るといわれた右足のクロスで大活躍した。
そしてベッカム氏の退団後は、クリスティアーノ・ロナウド選手に引き継がれた。 C・ロナウド選手は今や説明の必要が無いほどの選手であり、世界最高の選手の1人だ。
彼ら4人はいずれも攻撃的な選手である。カントナ氏は右サイドという訳ではなかったが、ベッカム氏や当時のC・ロナウド選手は右サイドを主戦場としていた。

2017年、Jリーグでプレーする7番

2017年7月22日現在、J1のチームでプレーする7番の選手は17名。7番がいないのは、2017年6月24日アイントラハト・フランクフルトへの移籍を発表した鎌田大地選手がつけていたサガン鳥栖のみだ。

7番の選手をポジション別に分類すると
ストライカー:3名
サイドアタッカー:3名
アタッカー兼サイドアタッカー:4名
守備的ミッドフィールダー:5名
サイドバック:1人
※2017年7月19日現在、Football LAB(http://www.football-lab.jp)のフォーメーションで先発として記載されているポジション。

最多となるポジションは、守備的ミッドフィールダーの5名。
守備的ミッドフィールダー=7番という図式は、世界中のほとんどの国では考えられないが、日本ではある程度定着してきたイメージなのかもしれない。
ただ、全体的にみるとやはり多いのは攻撃的なポジションの選手。ストライカーやサイドアタッカーなど攻撃的な選手は10名。半分以上の選手が占めている。

7番のサイドアタッカー

7番の世界的なイメージに近いのはサイドアタッカーだろう。7番を背負うサイドアタッカーの3人は、浦和レッズの梅崎司選手、アルビレックス新潟のホニ選手。セレッソ大阪の3人だ。
7番のサイドアタッカーが、世界的なイメージと異なり日本では少数派となっているのは少しさみしいものがあるが、これはJリーグの戦術的な部分もあるのかもしれない。
2017年の日本代表でも、本来中央の選手である久保裕也選手が入っているように、なかなか生粋のサイドアタッカーという選手は出てきていない。
Jリーグの多くのチームが、サイド攻撃をサイドバックの攻撃参加に任せているという現状も影響しているのだろう。
しかしその分、本来はサイドアタッカーとなりそうはスピードや突破力のある選手が他のポジションで起用されている。

7番=守備的ミッドフィールダーのイメージを作った選手は

日本のみの特徴ともいえる、7番=守備的ミッドフィールダーのイメージを作った選手は誰なのだろう。Jリーグでも1997年から始まった固定番号制だが、当時の背番号7番は、前園真聖氏などの攻撃的な選手が多く、守備的ミッドフィールダーはほとんどいない。
しかしその中に、中田英寿氏や名波浩氏の名前がある。この2人は当初攻撃的なポジションで起用される選手だったが、キャリアの途中からゲームメイカーとしてのプレースタイルはそのままに、攻撃的ミッドフィールダーから守備的ミッドフィールダーへとポジションを移している。
またこの2人は当時の日本を代表するサッカー選手だったため、おそらくこの2人の影響が非常に大きかったのではないか、と考えられる。
中田氏と名波氏の影響により、7番をつけたゲームメイカーとしてプレーする守備的ミッドフィールダーが広く採用された。そして2003年にガンバ大阪で遠藤選手が7番をつけることになった。これが一気に守備的ミッドフィールダーでプレーするゲームメイカー=7番という図式を作ったのだろう。