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スキージャンプの「レジェンド」葛西紀明の功績とは

2016 12/2 01:42
葛西紀明
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Ⓒゲッティイメージズ

スキージャンプ界のレジェンド・葛西紀明。最近の大会では、2014年のソチオリンピック個人、団体ともに銀とその活躍ぶりを記憶している方も多いだろう。葛西のこれまでの功績と足跡を紹介する。

葛西紀明の道のり

日本スキージャンプ界をリードしてきた葛西紀明。これまでの活躍は素晴らしいものがある。

葛西は北海道下川町の出身で、16歳の若さで日本代表として国際大会にデビュー。その3年後にはアルベールビルオリンピックに出場し、それ以降、計7回も冬季オリンピックで活躍した。

長野オリンピックでは団体メンバーから外れるなどの悔しい思いをし、7度目のソチオリンピックで念願のメダルを獲得。現在は所属チームの土屋ホームの選手兼任監督として、そのキャリアを続けている。

葛西紀明のジュニア時代

葛西紀明は20年以上も第一線で活躍を続けている功績から、日本国内外問わず「レジェンド」と呼ばれ愛されている。

葛西の才能はジュニア時代に開花。東海大四高1年時のスキージャンプワールドカップにおいて、史上最年少16歳6カ月という若さで初出場を果たし、同年1月のSTVカップでは国際大会で初の優勝も勝ち取っている。

1980年代はスキージャンプの飛行スタイルがV字に変わった時期でもあり、その習得に時間を要した結果アルベールヒルオリンピックでは入賞を果たすことができなかったが、習得してからはスキーフライング世界選手権で金メダルをとるなど、実績を重ねていく。

葛西紀明の長野オリンピック

葛西紀明にとって、長野オリンピックはとても悔しい思いをした大会だった。現に彼は「長野オリンピックの悔しさがあったからこそソチオリンピックでの活躍があったし、今なお選手生活を続けていられている」と話している。

長野オリンピックでは個人ノーマルヒルで入賞を果たしたものの、個人ラージヒル、さらには団体メンバーからも外され、その結果、日本男子が金メダルを獲得した瞬間をその横で眺めるしかなかった。

その悔しさをバネに、さらなるトレーニングを重ね、その後のワールドカップでは4シーズンぶりに優勝を飾るなど見事に復活した。

葛西紀明のソチオリンピック

葛西紀明の最近の名場面と言えば、やはりソチオリンピックだろう。ソチ大会では史上最年長で日本選手団の主将を務めた。

個人種目のノーマルヒルでは8位で入賞を逃したが、ラージヒルではギリギリの勝負の末、見事銀メダルを獲得。7度目のオリンピック出場で初めてメダルを獲得することができたのだ。

日本ジャンプ界にとって、長野オリンピック以来の個人のメダルをようやく手にすることができたのだ。

葛西紀明のスタイルと人気

日本スキージャンプ界の「レジェンド」と呼ばれ敬愛される葛西の飛行中の姿勢は、身体をスキーの板よりも前にせり出し深く前傾を保ち、大きく広げた両手は風をつかむようなスタイルだ。このダイナミックな独特のフォームが本場ヨーロッパで定評があり、“KAMIKAZE KASAI”とも呼ばれていた。

2014年には、ワールドカップで史上最年長優勝を飾るなど、40歳を過ぎてもなお衰えを知らない活躍ぶりだ。海外メディアからも取り上げられる葛西は、まさに「レジェンド」と呼ぶに相応しい人物といえる。

40歳を過ぎても輝き続けている葛西のますますの活躍が期待される。