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大学ラグビーの黎明期 その歴史について

2016 10/17 10:21
ラグビー
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日本ラグビー協会名誉総裁 秩父宮様と妃殿下

ラグビーといえば、大阪の花園競技場、東京の秩父宮競技場があまりにも有名です。
大正天皇の第二皇子としてお生まれになり、とても活動的でスポーツが好きなことから、「スポーツの宮様」として国民に慕われました。
殿下が初めてラグビーを観戦したのは大正12年頃のこと、霜の降りたグチャグチャのグランドで、泥にまみれ膨らんだボールをこれまた泥まみれの選手たちが追いかけ、満足にパスやキックがつながらない試合を、少ない観客がボールと一緒に移動しながら観戦したそうです。それが、昭和になると選手のレベルも向上し、競技人口も増え、万を超える観客が見守る人気スポーツとなったのです。
御自身ではプレーをすることがありませんでしたが、競技場の創設や協会の運営などにも尽力されました。昭和22年にはラグビー協会総裁に任命され、国際試合などでは競技場や歓迎会場にお出ましになり、選手を激励、そして観戦され、また記念の品を選手にお渡しになりました。宮様がご逝去された後は、妃殿下がご遺志をお継ぎになり代わりに務められました。

大学ラグビーリーグの歩み その歴史

大学ラグビーの試合は、関西大学リーグ、九州リーグ、北海道リーグ、東北リーグ冬季北陸リーグ、中国四国リーグでそれぞれ総当たり戦が行われます。
関 東は少し特殊です。伝統校による対抗戦グループと、新興校によるリーグ戦方式に分かれています。対抗戦グループは早大、慶応、明治を中心に例年同じ日程で決まった相手と対戦していました。(現在ではA,Bそれぞれ8校からなる二部制で、総当たり戦となり、入れ替え戦も実施していますが、)日程が決まっているため、新たに加入してもなかなか試合ができません。
対してリーグ戦グループは一部から六部まであり、総当たり戦を実施しています。伝統のある一戦の日程を守りたい伝統校と、新たに加盟した、総当たりで戦いたい新興校の主張が物別れとなり、1967年に法政、中央、日大、専修、大東大等がリーグ戦グループを開設し現在に至っています。
また、それまで東西の大学リーグ戦の上位4校で争われていた東西対抗戦のかわりに、1964年にラグビー大学選手権が開設され、それぞれのリーグの上位校によるトーナメント方式で争われます。
そして更に、大学選手権で優勝すると、トップリーグの優勝チームと戦い、日本一を決める日本選手権に出場することができます。過去には早稲田大学、慶応大学、同志社大学などが日本一になっています。

関西の雄 同志社大学ラグビー部

1911年創部とその歴史は古く、慶応、京都三高(京都大学)に」ついで日本で3番目にラグビー部ができました。創部翌年の1924年からは慶応義塾との定期戦が、1923年には早稲田、1925年には明治と始まりました。
1961年には、早慶明校に勝利しNHKカップに出場し、社会人王者である近鉄ライナーズを破り、栄えある日本一に輝きました。1980年代には4回の大学日本一となり、2002年~2005年関西リーグで四連覇を達成しました。関西の大学の中で唯一、大学選手権日本一、日本選手権日本一を制したチームです。

まとめ

最初にラグビーを習った生徒たちは、おそらく暇つぶしで始めたのかもしれません。道具や環境も整っていませんし、試合の相手を探すことも難しかったはず…。それが少しずつスポーツとして広まり、寒くて家の中にこもりがちな生徒たちを、屋外へ引っ張り出しました。紳士の国で生まれたのにふさわしい紳士のスポーツ、ボールを持った決死の鬼ごっこのようなラグビー。日本の2015年のワールドカップの勇姿を秩父宮様両殿下がご覧になっていたら、きっと微笑みながら観ていらっしゃったに違いありません。

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